自分の感受性くらい
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実は、この詩の種子は戦争中にまでさかのぼるんです。
美しいものを楽しむってことが禁じられていた時代でしたね。でも、その頃はちょ うど美しいものを欲する年ごろじゃありませんか。音楽も敵国のものはみんなだめだ から、ジャズなんかをふとんかぶって蓄音機で聞いたりしてたんです。隣近所をはば かって。これはおかしいな、と。
それに、一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしい んじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじ ゃないかという疑問は子供心にあったんです。
ただ、それを押し込めてたわけですよね。こんなこと考えるのは非国民だからって 。そうして戦争が終わって初めて、あのときの疑問は正しかったんだなってわかった わけなんです。
だから、今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうし たときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、 人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをする っていう、戦争時代からの思いがあって。だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」 なんですけどね。一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。
国立博物館は戦争中も開いてたんです。だから、戦争中も、美しいものが見たくな ると行って、一日館内まわってました。あすこ行くのが好きでしたね。そうねえ、二 月に一回は行ってました。
戦後もそうでした。すぐには復興しなかったですから。特に学校のあった蒲田は、 工業地域だからみんなやられちゃって、防空壕に人が住んでたんです。防空壕から煙 突が出てて、そっから煙が出ててね、そこに出入りしてるの見ると、アリみたいでし たね。銀座なんかも、あー、貧相だなあって感じで(笑)、悲しいなあと思って見て ました。ですから、居場所っていうと、国立博物館が一番やすらぎましたね。
詩について、その背景とか由来とかそういう文脈、作者の意図を明らかにすることが必ずしも良いことではないんだけど。一応、念のため、貼っておく。読むのも八卦、読まぬのも八卦。自分で感じろよ、ばかものよ。