社会活動と脳
序文
発刊に寄せて─本書のオリジン
岩田 これは,『神経文字学』と同じように,オリジンはかなり古いのです.
ヒトの文化を形成する社会的能力の1つ、文字操作の始まりは、今から5,000年ほど前。その後、文字の社会的意義、文字を操作する手段、そして文字の形態そのものも絶えず変化し、それに合わせて脳機構も変化を遂げてきたはずである。本書は文字を操作する脳内機構を、歴史的変遷をみながら、日本語特有の漢字仮名問題も含め、第一線の研究者がわかりやすく解説する。
起源も非常によく似ているのですが,豊倉康夫先生がおっしゃったことがきっかけです. 豊倉 康夫
脳の研究は,1970~80年代はあまり興味を持たれていなかったんだけれども,90年代に入ってから現在に至るまで,猛烈な勢いで進んできました.豊倉先生は,これからはいろいろなものが人間の脳を基にして考えられるようになるだろう,と二十数年前におっしゃったんです.
脳の研究には,2つの立場があって,1つは,脳そのものを研究していく立場です.それにはいろいろな研究がありますが,神経細胞であれ,トランスミッターであれ,生理学的な現象であれ,脳そのものの研究が主流です. それからもう1つ,豊倉先生が言っておられたのは,脳が作り出したものの研究も大事だということで,そういったものを中心にして,いろいろな科学が脳を語るようになるでしょう,ということだったんです. 「脳の研究には,2つの立場がある」
文字
言語(話語)
音楽
河村 豊倉先生は,先を見た天才的な発想をなさる方だったのですね.
岩田 そうですね.脳の作り出したものに対する興味は,私自身に前からあったわけで,それがだんだん大きく見えてきたのは,いまから10年ぐらい前のことです.たまたまアメリカ神経学会がボストンで行われたときに,平野朝雄先生にお会いして,当時ハーバードの政治学の大学院生だった先生の一番下の息子さんと3人で食事に行ったんです.その息子さんに,政治学でも何をしておられるのかと聞いたら,神経心理学者と一緒に仕事をしていると言われたので,ビックリしましてね.
河村 すでにその頃に?
岩田 ええ.彼の話には非常に説得力がありまして,結局,政治・経済学というのは人が損得をどうやって判断するのか,そしてどういう行動をとるのかという,神経心理学と同じなのですと言うんです.確かにそう言われればそうで,こういう社会科学というのが人の行動をみているということだとすれば,それは神経心理学の研究そのものですからね.それは,脳を研究するということではなく,脳がつくり出す行動を研究するという意味で,非常に大きな意味がある.そこで驚いて,一挙にこういうことに対する興味が出てきたわけです.
ですから,遠因をたどれば二十数年前の豊倉先生の言葉ですし,それからだんだんに興味を持ってきて,たまたま日本神経精神医学会を主催させていただくことになったので,これは神経内科の医者にも,精神科の医者にも共通の話題として非常に面白い分野だろうと思って,河村先生が前からこういうことに興味を持っていらしたことは,私はよく知っていましたから,先生に司会をお願いした次第です.それが,今回の本を作るまでの1つの流れになったわけです.
河村 この本の出版は2008年の秋ですが,それより2年前には,われわれ神経心理学の専門家の中でも,神経経済学,神経倫理学といった概念は,ほとんど語られなかったように思います.ですから,10年も前にアメリカの政治学や経済学の研究者が興味を持っていたというのはちょっと意外な感じがします. それをたぶん,economicsやethicsをやる人たちが,パッとつかまえて,「これは自分たちが拠りどころにしなければいけないものだ」というふうに思ったというところじゃないでしょうか. 河村 確かにそうですね.ただ,経済学者や哲学者が脳を扱うことは,以前はできなかったですね.ですが,最近はfMRIなどのactivation studyが研究に活用できるようになったので,それが可能になったのでしょうね.