死神の大鎌
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人間とテクノロジーの関係は、技術的特異点とか、人間 vs AI とか、そういう視点になっていて、AI に駆逐される人間、みたいなことになっているけれど、それはちょっと違うかもしれない。テクノロジーが切り開いた地平に人間が進出していくような。 トゥーイン・サーフィンでジェットスキーが切り開いた大波でのライディングが、生身の人間のパドルアウトでのサーフィンに置き換えられたように。
ニコラス・カーの "The Glass Cage" は、テクノロジーによる自動化、機械化の話だ。自動化と呼ぶとき普通は、人間が行う作業を細分化、単純化して抽出してそれらを自動化、機械化することだと思っている。ところが、カーは言う。いや、それだけではなくて、テクノロジーによって人間の行動が自動化される、という意味も含まれている、と。
その最終章「 第9章 湿地の草をなぎ倒す愛」のモチーフは、草刈りと大鎌だった。大鎌は死神の象徴でもある。そういうものだ。
カーはさらに、人間自身が自分の身体を機械によって拡張、延長するということも含まれる、と言っている。それが草刈り、大鎌を使う人の話。草刈りをしているとき、大鎌の刃はまるで人間の手の延長のようになっている。その動作は完全に自動化されている。それはただ単に労働を意味するのではなく、瞑想や、自己満足をも意味していると。
つまり、テクノロジーの象徴である大鎌によって、わたしたちの魂は収穫(救済)されるわけだ。
ポーランドの農夫たちが、ロシア帝国との戦いを前に、大鎌を手に祈りを捧げたように。
救いのため取り憑かれたように、藪だらけの裏山を(穴だらけのインターネットのメタファーです)、ハイパーな刈払機で(原子爆弾的な tombloo のメタファーです)、素敵なシングルトラックを(すげぇークールな dashboard のメタファーです)切り開いたように。