人間を機械のように扱うのではなく機械を人間のように扱う
ジュディスリッチハリス「子育ての大誤解」上巻 第6章 「人間であるということ」 人間の脳は、人間が社会環境で生きるために一番必要な道具である。物理的な環境に慣れるのは二の次だ。
進化心理学者リンダ・カポラエルは、人間はあいまいでやっかいな事象に対しては尻ごみする傾向があり、それを社会的なやりとりの中で対処しようとすると言う。 私たちはトラブルを擬人化する。人間を機械のように扱うのではなく、機械を人間のように扱うのだ(52)。
「こら、動け!」と車に向かって怒鳴ったりする。コンピュータがすねないようにと願う。そしてもし理解できない、掌握できない事態に直面すると、その理由を神や自然に求めるのだ。 俗語的な動詞 にあるように、人間は「ある事象」をまるで、人間の動作のように扱ったりする そして、掌握できない事態に直面すると、その理由を神や自然に求める
世界中に同じく自然崇拝、宗教が存在するということは、人間のこのような傾向は文化に関わる事柄ではなく、人間が生得的に備える特質であるといえる
つまり、人間とサルを分かちたその理由の一つには、このような人間の特質が挙げられる