よい接客とはどんなものか
先日、マスカレード・ホテルの実写映画を観てきた。長澤まさみさんが演じるのは、ホテルのフロントクラークの山岸尚美という女性。作中では「優秀なクラーク」として描かれていた。 ホテルにやってきた客を接客するシーンがたくさんあって、ぼくは何度かウッとなる瞬間があった。えらそうにふるまう客に対して、ホテルのスタッフが「お客様の言うことは絶対」といった態度で接していたからだ。ぼくにとっては、あまり気持ちのよいものではなかった。でも、作中に登場する架空のホテルにおいては、それが「よい接客だ」ということになっていた。「自分はえらい」と勘違いした厄介な人間を増やすだけでは?表面的には笑顔で対応しつつも心の中で「なんだこいつ」と見下していたとして、それでも「よい接客だ」と言い切るのか?というあたりが、ぼくがそれを快しとしない理由だろう。 ホテル業界のことはぜんぜん知らないのだけれど、実在するホテルにおいてはどうなのだろうか。もちろん、一口にホテルといってもたくさんのホテルが存在するので、そのひとつひとつに別々の「よい接客」の定義はあり得るだろう。
少し話は変わって、最近、ヒゲの永久脱毛のために美容クリニックに行ってきた。美容クリニックに訪れるのはこれが初だ。電話をかけて相談しつつ予約を取るところから、クリニックに伺って契約をして施術を受けるところまで、全体的にとても気持ちのよい体験だった。総じて、仕組みがよくできていると感じた。予約の電話を終えて 10 秒後くらいには予約日時が記された SMS が届くところや、クリニックに無料 Wi-Fi が展開されていて施術に関する解説は YouTube にアップされている動画を見ればよいところであったり、体験がよく設計されているな〜と感心してしまった。 こうして考えてみると、ぼく個人は、客のわがままにスタッフが応じてくれるかどうかではなく、ふつうの客がストレスなく所定の手続きを済ませられるようになっているか、という点に重きを置いていそうだ。加えていうならば、少なからず社会全体がそうであってほしいなぁと願っているところもありそうだ。
全体から見ればわずかしかいない、ごく一部のわがままな客のためにリソースが使われるのではなく。客全体の利益になるようにサービスの基本的な質を向上させるためにリソースが活用されてほしい。そんな願いだ。
そのためには、その場その場の属人的な対応のような「運用」ではなく、そんな運用が不要になるような「仕組み」が必要となるだろう。たとえばホテルを例に考えてみると、チェックアウトの列に並んだ常連客が「私は常連だ!優先して対応しろ!」と喚いたときに穏便に対応できるスタッフを教育するよりも、チェックアウト待ちの列が発生しないような仕組みを構築した方がよい、ということだ。 さて、よい接客とはどんなものだろうか。最終的には、スタッフと客との接点が限りなく無に近づいていくのではないか。ふらっと訪れて、好きな部屋を選んでチェックイン、寝泊まりしてチェックアウトして、ふらっと出て行ったら支払いも勝手に行われるような、そんなホテルがあったら、それはそれで快適に利用できそうだ。さよなら、インタフェースのような、そんなお話。 これを書いてみて、自分は別に「接客」を求めていないのだな〜と気が付いた。商店や飲食店や病院など、特定の結果を得るために人間と接することになる機会は多いけれど、なくて済むならそれでいい。そこにコミュニケーションの楽しみがあることは知っているけれど、コミュニケーション欲求は別の経路で満たすこともできるので、他のものと密結合にしておきたくない感じ。