「勉強」に対する印象
〜 10 歳
正直、あんまり覚えていないけれど…
苦手ではないけれどぜんぜん好きではなかった
苦手ではない、というのは定期テストで致命的に低い点数を取って大人に心配されたりしない、くらいの意味
10 〜 20 歳
苦手ではないけれどぜんぜん好きではなかった
大人にあれこれ言われたくないから定期テストで高得点を取って黙らせればいい、と 19 歳のころは考えていた
10 代後半は高専の寮に住んでいて親元を離れていたので、生活態度とかは親に見えない分、成績のよしあしが相対的に目立ってしまう状況だった
授業をサボったりしても「大丈夫です、理解できていますんで」という強気な態度だった
あの頃はなんで先生たちを敵視してしまっていたのだろう…
20 〜 25 歳
「勉強のできるやつ」「人間としておもしろいやつ」みたいなラベルを心の中で他者に貼っていたように思う 「こいつは勉強もできるし、おもしろい」とか「勉強はできないけど、おもしろい」とか
いろいろをこじらせていて、自分はおもしろい人間になりたいと思っていた… ような気がする
「勉強しかできない、おもしろくないやつ」になりたくないんじゃ〜という焦りがあった
こうやって、まじめに勉強している人を dis るのは害悪でしかないので、当時のぼくはビンタされた方がよかった
研究室時代は「Web 2.0 ちょーおもしろい!」となり、このモチベーションで本を合計で 30 冊くらいは読んだ 「ウェブ進化論」とかね、なつかしいね
25 〜 30 歳
「勉強よりも訓練が大事」みたいな価値観が強まっていた時期のような気がする 人生はスポーツのようなものだ、と捉えるようになって、サッカーで活躍できるようになりたかったらたくさん勉強するよりもたくさん練習した方がいいでしょ、とか思っていた
なので、とにかくなんでもやってみるスタンスで、いちばん手を動かして足を運んでいた
30 歳〜
我武者羅に手を動かすだけだと頭打ちじゃん?
自分に学びや気付きを与えてくれる人たちは、日々めちゃくちゃ勉強していると気が付く
厳密には 25 〜 30 歳のときにも薄々は気付いていたのだけれど、その事実をしっかり受け止める度量がなかった
ちゃんと勉強した方がいいな〜、という義務感から行動が変わり、だんだんと勉強が楽しくなっていく 本を読むの、めっちゃ効率がいい勉強方法じゃん、もっと本を読もう
読書経験値を稼がずに生きてきてしまったので、当初はとにかく読むのが遅くて今より苦労していた
自分がこれまで蓄えてきた「経験談」「経験則」の類も、ちゃんと知識として体系化しないと武器として弱いな〜と思うようになる hr.icon
こうして、若者相手に「若いころにもっと勉強しときゃよかったな〜」と言い出す大人がまたひとり世に生じてしまったのであった。
勉強が好きじゃない時期に「勉強だけできてもダメ」と言って、勉強を楽しみ始めたら「勉強しないやつはダメ」とか言い出しかねない精神になって、わかりやすく自己肯定バイアスに溺れていそう。そういう生き方はダサいと自分でも思う。