第1回研究会 2021.10.30 榊原コメント
論文全体への印象
「図書館奇譚」という短編に端を発していながら、それらが異なるメディア、異なる形式、異なるジャンル、異なる言語を横断していくつものヴァージョンを派生させていくダイナミクス
雑誌の連載、単体の短編集のなかの短編、作品集のなかで編まれた短編、児童文学のなかでの絵本、英語圏・ドイツ語圏での翻訳 -- これらを「星座」のように一つのまとまりに繋げた論文
ヤコブソンの言語間翻訳、言語内翻訳、記号間翻訳という古典的分類モデルはなくて、これらはフラットに並べられて取り込む=取り込まれるの関係を形成
学生運動というローカルな文脈
村上春樹の記者会見での発言
「当時、この4号館は学生運動で学生たちが占拠したけど、機動隊に追い出されたという因縁があって。それを今、せっかく“再占拠”したんだから、勢いのある場にしたいですよね。大学の論理じゃなくて、個人の論理で運営したい。なるべく大学の殻みたいなものをぶち破って。暴力じゃなくて、平和的にね」
佐々木マキとのコラボの意味
『ガロ』『朝日ジャーナル』の書き手としての佐々木マキ
図書館の地下にある牢獄に囚われた少年が、知の体系を体現する老人に抗って脱出するという話で、学生運動の経緯を知っている人が読んだらそのまま60年代の寓話になるような物語
学生運動と80年代の消費社会はねじれた関係性
ローカルな文脈を断ち切るヴァージョン4?
カット・メンシックのイラスト
質問
1) このダイナミックは動きのなかで、学生運動の要素はどのように林さんの物語のなかに組み込まれ得るのか。あるいは組み込まれないのか。
2) 108ページのところで、ヴァージョン4に関する分析のところで、「地表」から「世界」への改稿はなるほど面白いなと思ったディテイルだったが、「顔のある「ぼく」は日本の読者を見る世界の読者の顔を映し出している」という部分に少し飛躍があるのではないか、という感覚をもった。2003年の「ふしぎな図書館」が60年代のローカルな文脈で読みうると考えると、そうした文脈はカット・メンシックを経由することで別のものになっているかもしれないが、それを「世界」「日本」というように切り分けると、読者の問題も含めて少し単純化することになってしまわないか。
3) また、それは村上春樹の選択という物語に収めてよいのだろうか。