2022-06-21
離れていて寂しいという気持ちは相対的に減っていると、ただインターネットの存在や普及を理由に言ってしまおうとして、いやそれだけかなあと思う。連絡を取ったらすぐに繋がれることや連絡することのハードルの低さ。そういうので寂しさが減っているのは間違いないだろうが。
若い頃、十代をまだあと数年残していた頃、寂しさと共にあったなあと思う。ひとと話しても、関係はそこにあるだけで、離れると急に実体を失うのだった。あんな風に言ってくれたけれど今もそうだろうか、と確かめられないもどかしさもあった。振り返ってみると、伝えてくれた言葉を一度では信じられなかったんだな。何度か訊いてみて同じように返ってきたら、ようやく安心していた。連絡がもっと取れていれば良かったのだろうか。どうだろう。
今は人の言葉を、そのまま信じている。人に依存している訳ではないけれども、頼りにできる相手をふやしてきたんだろう。逆に、信じ切ってもいないのかもしれない。どこか思いと違っていても大丈夫だと思っていて、信じた顔のままで平然としている。
先日書いた「東京だとやり残しを感じる」を少し書き直した。意図は変わっていない。まさに週末、東京経由で移動をするので、さてどんな気持ちだろうと自分に問うたのだ。 羽田にしろ蒲田にしろ渋谷にしろ、よく通るターミナルで僕は留まらない。するすると通り過ぎていて、その場所についてたいていは考えていない。むしろ目的地について考えている。まだ辿り着いていない目的地のことを見て、それを最大化しているのだ。目的なんだもの。