駅出た1分の百円コーヒーが社会
例えば、電車から降りてすぐ、喉乾いた人たちが駆け込む百円のコーヒーが「社会」
例えば芸大生は、喉乾いてるのを我慢してでも駅から20分歩いて香りのいい自家焙煎のコーヒーを飲みに行くタイプ。
百円コーヒーを飲みに行く人たちの心理を知らないと「社会」でデザイナーはできないという主張があるかもしれない。
でもその心理や裏にある価値観だって、今は一般的に受け入れられてるだけでもっといいオルタナティブな選択肢があるかもしれない。百円コーヒーを飲む店に通い、安いコーヒーを飲みその心理をリサーチしても、オルタナティブには出会えない(と自分たちを正当化したい心理あるよね)
デザイナーとして突き詰めたいクオリティMAX【10】のうち、「社会」的に求められる多くはせいぜい【7~8】くらい。
「社会」多くの人は【7~10】の違いはわからなくて、その【7】から3あげる仕事にお金はつかないことがほとんどだよね…って葛藤。
co-designは百円コーヒー的な心理や姿勢への理解が必要。ただしつくり手としての自分は、【9】とか【10】とかができるようになりたい。でも現場では【7】を誠実にアウトプットするロールとしての「デザイナー」的立ち回りが求められる。
ちなみにヨーロッパのインクルーシブな現場ではデザイン学生はもっと【2】とか【3】を瞬発的に&柔軟に&対話的にアウトプットする姿勢が求められるきがした。
専門性の心地よさ
デザイナー
ソフトとハードの融合
仕組み・コデザインてきなものと、フリッツハンセン的なものの共存?