踊り
自分のつくる平面的・空間的・時間的なゾウケイ(造形?像形?像景?)を、ぼーっと長い時間見つめ続けていたところ、ふと、その存在の空気との境目というか稜線というか質感というかがうっすら見えてきた。なんだか、鏡のくもりがやや晴れてきたような感じというか、それで初めて自分の身体の形やら動きの癖やらを視認したかのような、それが意味に落ちる前のふわふわした存在だが、そこにあるものの「見方」をひとつ手に入れたよう。
その見方によると、自分はゾウケイする営みを通して、己の身体の感覚(とりわけ運動神経に関わるチャネルを行き来するもの)を作品に投影しているのでは?という仮説が見出された。なんだか、それって踊りに近いのかな〜と感じた。
誰のためとかはなく、役に立つとかではなく、ただ身体の内側の熱を外に排するために発するもの。息を吸って吐き、血を巡らせ、筋細胞が傷つき、汗を流し、その一瞬一瞬が「自分」だが、常に自分じゃないもの。身体とは、精神がここにあることを実感できる箱であり、その身体による営みによって蓄積される歪みやキズといった痕跡こそ、精神がそこにあった証拠なのだろう。
多分、今の所、私はその証拠を残すために作品をつくっている。
こうして文字にすることも、キズを残すってことなのかもしれない。ところで、「創」も「キズ」って読むんだね。「創造」とは…