作品鑑賞・サンプリング・パクリ・著作権
アイデアは0から生まれない。
今まで見聞きしたものが、記憶の引き出しにしまってあって、すぐに引き出しやすい部分にあったり、かなり奥底の、自分でも認知できていないような場所にあったりする。
自分のアイデアがどのようにして生まれてくるのか度々気になることがある。
展示で誰かの作品を観たり、インスタグラムやピンタレストで気になる作家を探したり、音楽を聴いたり、移ろう季節の花や空や水を眺めたり、道端で写真を撮ったりする。
まちなかで出会う人々のおしゃれなファッションに目を奪われたり、家で母親が隣で流しているTVショーを眺めたり、電車の中でや街で広告を見かけたり、スーパーのチラシや店頭のPOPを見たりもする。
リモコンのボタン配置に苛ついたり、他人の文字詰めに呆れたり、両親の企業年金の仕組みの回りくどさに腹が立ったりする。
美術館のような、その作品にノイズなく向き合える場所に立ったときの、一つひとつの作品の鑑賞にかかる時間の長さは、世界平均と比べると上位5%には入るだろうなと自覚している。
ふとした日常の一コマに対して、「どうしてこうなった?」と考える時間も多く、それ故にこうしたサイトまで用意して自分の考えや気付きをまとめたりしている。
そんなふうに、日常見聞きしたものの中でふと「あ、これいいな」と思ったものを、自分の表現に昇華させようと試みることはしばしばある(ただ、そもそもデザインワークを含め、作品づくりの頻度もそう多くはないので、これは同世代のデザインに携わる世界平均と比べたらかなり少ないほうだと推測できる)。
文字や認知に関わるもの
表現に至った作者のツボ(どのようにエネルギーが作用しあい、着想〜完成までの中に流れとして生きているのか)
体のどのへん通ってそうとか、そこ通すんだ…とかに驚きを覚えて、呼吸の仕方を真似したりするみたいな感覚
近い目線になってそこから見える世界を想像してみたり、自分の中にイマジナリー〇〇さんを憑依させてその人ならどうするか想像したりする。
DECO*27の曲とか聞いていると彼のこれまでの楽曲のツボを連鎖させて遊んでいるような
他者の表現をそのまま転用しているような事例を見ると…
(途中)
#大切にしたい