『目標という幻想』と文化
文化なんてのはつくろうと思ってつくれるものではないと思うし、守ろうと思った瞬間に衰退がはじまる「なまもの」だと思う。
放任して、寛容さを持って、1人ひとりが自分たちの直感に従って、生きづらさに抗い、工夫し、学び合い、交換し合い、研鑽の蓄積を積み重ねること。
そうした蓄積が「文」という記述・識別可能な形態に「化けた」結果が文化なのであって、蓄積することという本質を差し置いて表面的なラベルに縋り付くのは停滞であり、つまり相対的にみれば衰退なのだと思う。
てか、「日本文化を守る」って具体的に何することなのよ?
「日本文化」じゃないものを排除して残ったものが純粋な日本文化なのだというの?
私から見れば、そんなことを掲げた時点で、当人は文化の担い手にはなり得ない。むしろ文化が生まれる土壌をアスファルトで固めてしまうような行為にしかなってない。
文化はそもそもが常に流動するものだし、変化するものであって、再生産することなんてできないのだと思う。「文化を守ろう」なんて目標を掲げても生まれるのは文化の弾圧だけだと思う。
#なやみごと