「人権」という比喩表現
背景
このことから、「人権」という表現を改めて整理したく思う。
人権
『人権』と問われて知らない者はいないだろう。しかしながら、厳密な定義をせずに語るのは勘違いを助長させかねない。
法務省より人権は以下のように説明される。
「すべての人々が生命と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」
「人間が人間らしく生きる権利で,生まれながらに持つ権利」
人権がない
つまり、『人権がない』とは、
「生命や自由は保証されず、幸福を追求することも許されない」
「人間として生きることを許されない」
比喩表現
ここで重要なのが、一般に用いられる『人権がない』は比喩表現であること。
また、本来の人権が生まれながらに持つものに対して、比喩表現の人権では特別な条件が設けられており、この比喩表現はその条件を満たしていないことに対して『人権がない』と揶揄しているのである。この『人権がない』によって何かを制限されるといったことはないが、「人権がない」ということは「幸福の追求」も認められない。これ俗に云う「資格がない」といった批判に繋がる。
具体例
例として、筆者がプレイしている「Fate Grand Order」というゲームでは有用なキャラクターが非公式で「人権(キャラ)」と呼称されている。これは、そのキャラクターを所持することによってプレイが格段にしやすくなり、その快適さによるプレイ難度の変化を「人権の取得による生活環境の変化」に喩えているのだと思われる。
勿論、この表現も件の有用キャラクターを所持していないユーザに対して「人権がない」と表現すれば、問題になると私は考える。であれば、何故にそのような問題を耳にしないのか。
それは本ゲームが基本的に個人プレイであり、他者のプレイスタイルに言及することがあまりなく。かつ、キャラクター未所持をそこまで深刻に悩んでいるであろう人物が(おそらく)いないであろうことが理由だと考える。
問題となる場合
では、どのような場面で問題となるのか。
それを述べる場合に、この『問題』とは何なのかだが、それは「社会に生きるもの」としての問題である。好きな意見を云う権利は誰しもあるし、どのように生きるかも自由である。しかし、それは生きているものに最初に与えられる権利であり、行使するかは別の話である。そして、この人間社会という集団に属するからには行使してはいけない場面場所場合が存在する。これらを守らずに行動し、同集団に属する人間から非難批判されることが本項目における問題である。
さて、本題に戻るが、どのような状況で問題になりうるのか。
「比喩表現の人権」を所持していない人に、「貴方には人権がない」という意図が伝わってしまう状況
その「比喩表現の人権」を所持していないことをコンプレックスに思っている人物がいる
ここまで
正直、こんな問題が起こるような社会が哀しいね
結局なにがいいたいの?
→実は、「人権という比喩表現がよくない」ってツイートを見かけてね...表現自体は問題じゃないよ。状況と比喩対象がよくないだけだよって伝えたかったんだ。
「人権」っていう表現は確かに「大事なもの」という表現には適切かもね。ただ、それを「持ってない人」を揶揄するために使うのはコンプレックスを、より蔑みまるで悪であるかのようにしてしまう。その表現で誰がどう思うのかを考えなければいけないね。
https://gyazo.com/4031bb41108a1756d5556efc02346660記述日:2022年02月25日11:58https://gyazo.com/0902b55512d817b36596c44228e2d840 https://twitter.com/intent/tweet?text=%E3%81%B2%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AEScrapbox%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%82%92%E5%85%B1%E6%9C%89%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82%0D%0Ahttps://scrapbox.io/hiyu-hajime/%25E3%2580%258C%25E4%25BA%25BA%25E6%25A8%25A9%25E3%2580%258D%25E3%2581%25A8%25E3%2581%2584%25E3%2581%2586%25E6%25AF%2594%25E5%2596%25A9%25E8%25A1%25A8%25E7%258F%25BE