18世紀から19世紀にかける欧米国通信網
通信網
現在では通信と云えば専ら、電気通信さらに云うならばインターネット網などというのが常識なのだろう。
しかしながら、1800年代ごろの当時では電気通信は試みこそあれど、実用性はなく技術的にも我らがアレッサンドロ・ボルタ氏がボルタ電池を発明して間もない頃である。
そんな当時の通信方法とはなんだったのだろうか。
腕木通信
https://gyazo.com/96f5040d7889f565251929e539b90c1f
上のような画像にある❍ーミン谷にありそうな建物が腕木通信機である。
この腕木通信機を送受信機として各地に置いて遠距離通信を行うのが、腕木通信である。
上部の柱部分にある2つの左右の木組でそれぞれ96通りの表現が可能であり、腕木通信機での表現方法は理論的には$ 96^2である。
なお、実用に際しては建物内に通信士を24時間配備する必要があるのと同時に通信範囲は、このクソデカ建物を建築した圏内が範囲となるので費用がかなり掛かる。
伝達方法はバケツリレー方式なので、遅延に関してはメッセージが多ければ多いほどに遅れるし、望遠鏡を用いての視認であったため場所や天候で伝達の確実性にムラができる。
現実問題、使われたのかというとかなり使われたらしい。日常的にも緊急の連絡がない場合には一般市民での利用も可能ではあったらしい。(値段はお察し)
これはアレクサンドル・デュマ氏の小説「モンテ・クリスト伯」に登場することから、如何に当時として社会の常識であったかが窺える。
欠点としては、先ほども述べたとおり通信士のブラック環境と目視による確認に依る不確定さであろう。
まぁ、所詮人間ですので...でも水圧通信や狼煙と比べればかなり文明的ですよ!!
開発者
この腕木通信の技術を作ったのは、クロード・シャップというフランスの発明家。元々はパリのちょっと物理が得意な聖職者さんでしたが、何が切っ掛けか1789年に聖職者の身分を捨て、フランス北西にあるサルトの故郷ブリュロンで兄弟らと腕木通信の開発をすることに。(何が原因なんやろうね?)
そして1791年の3月2日に通信機の初公開実験を行い16キロの距離での実験成功を果たした。
その後に'92年にパリで色々ひどい目に遭いながらも、翌年にはスイスの時計職人であるアブラアム=ルイ・ブレゲの協力を得て腕木通信の開発に奮闘し、同年の7月12日に公開実験成功からの通信網整備までこぎつけた。
しかし、協力者であるアブラアム=ルイ・ブレゲを含めた多数から発明の盗用という中傷を受け、1805年1月23日に41歳の人生を自ら閉幕した。
なお、上述のアブラアム=ルイ・ブレゲという人物は時計の職人としては随一と謳われ、「時計の歴史を200年早めた」と評されるほどの逸材だったそうな。(ヤバイね)
参考文献
https://gyazo.com/4031bb41108a1756d5556efc02346660記述日:2021年03月04日23:29https://gyazo.com/0902b55512d817b36596c44228e2d840 https://twitter.com/intent/tweet?text=%E3%81%B2%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AEScrapbox%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%82%92%E5%85%B1%E6%9C%89%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82%0D%0Ahttps://scrapbox.io/hiyu-hajime/18%25E4%25B8%2596%25E7%25B4%2580%25E3%2581%258B%25E3%2582%258919%25E4%25B8%2596%25E7%25B4%2580%25E3%2581%25AB%25E3%2581%258B%25E3%2581%2591%25E3%2582%258B%25E6%25AC%25A7%25E7%25B1%25B3%25E5%259B%25BD%25E9%2580%259A%25E4%25BF%25A1%25E7%25B6%25B2