財務モデル
財務モデル
「ポートフォリオ事業のようなものだと考えるのがいいでしょう。毎年、たくさんの映画を低予算、中予算、高予算に分けて制作予算を用意します。マーケティングについても同じで、映画ごとに予算を用意します。そして、ヒット作で失敗作の穴埋めができることを祈りながら映画を公開するのです」
「予算枠ごとに何本作るのですか」
スティーブが尋ねた。
「いろいろですね。何本がいいということは特にありません。6本と少ないこともありますし、 15 本から 20 本と多いこともあります。年によっても違いますし、スタジオによっても違います。資金などの要因によっても違います」
「ヒット作を見分ける方法はありますか?」
「ありません。見分けられればいいのですが、実際には無理です。ヒットは予想が難しくて。大スターを起用すれば滑り出しはよくなりますが、それが最終的な成績につながるとはかぎりません」
「つまり、クリエイティブな戦略であると同時に財務戦略でもあると考えるべきなのでしょうか」
「映画の製作というのは、事業としてそれほどいいものではありません。新作で成功するのは大変です。価値があるのは、むしろライブラリーのほうですよ」
「というと?」
スティーブが尋ねる。
「国内外の映画館で人気を博した映画は、スタジオのライブラリーに収蔵されます。いい映画は、長年にわたり、くり返し鑑賞されますからね。ホームビデオのような新技術が登場したことも大きいですね。ともかく、大手スタジオは、どこも、膨大なライブラリーを持っていて、そこから収益を上げているのです」
そんなことになっていたとは。では、ライブラリーの価値はどう見積もればいいのだろう。
「科学的な方法はありません。でも、ハリウッドの大手スタジオは、どこも、映画ライブラリーから大きな価値を得ていることはまちがいありませんよ」
エンターテイメント専業の会社を作る仕事など、する日が来るとは想像もしたことがなかった。だが、どうやら、それがどういう仕事なのか勉強すべきらしい。スティーブは株式を公開しろとあいかわらず圧力をかけてくるが、それが実現できそうな数字はどこにもない。ハリウッドで何回か話を聞いたくらいでどうにかなることではないのだ。まじめにエンターテイメント専業でいくなら、経済性を細かく理解しなければならない。さて、どこから始めようか。
私は、まず、図書館へ行ってみることにした。
多くの人は、映画の製作ほど楽しく、儲かるものはないと思っている。たとえば『スター・ウォーズ』など、1100万ドルの初期投資により、4年間で1億5000万ドルもの利益を上げていたりするからだ。しかしながら、自己満足が得られるだけのことが多いのも事実である。なんでもそうだが、目に見えるものがすべてではないのだ。実際、劇場用映画 10 本あたり6本から7本が採算割れ、1本がとんとんと言われてる。
歴史をひもとくと、普通株式による方法で映画製作費を調達するのはやさしくないことがわかる。株式市場が過熱気味でないかぎり、映画スタートアップの資金調達は長く苦しいものとなり、費用もかさむのが普通である…… 投資家側から見た場合、映画会社が早期に売りだす普通株式は、実績として、リターンが得られる場合より悪夢となる場合のほうが多いくらいである。
そう思った瞬間、ひらめいた。
「さっき、モデルは実写用だと言われましたよね? アニメーション用にしか使わないと約束してもだめですか? こちらでアニメーション用に進化発展させます。我々はアニメーションですから、そちらのデータをそのまま使うことはありません。結果はそちらにも還元しましょう。アニメーション用モデルをお返しするわけですよ」
「アニメーション用のデータはどこから手に入れるのですか?」
「モデルは渡せないけど、手は貸すとディズニーに言われています。お宅のモデルとディズニーの支援があればなんとかなるはずです」
サムはしばらくだまって考えていた。
「そうですね。そういうことならいいんじゃないでしょう
サムの会社からファイルが送られてきて、映画からどういう収益が上がるのかがようやくわかるようになった。少なくとも、興行収入のうち、どのくらいが配給会社に入るのかはわかった。マーケティングにいくらぐらいかかりそうなのかもわかった。ビデオやテレビなどに提供されるのがいつごろで、どのくらいのお金になるのかもわかった。制作予算や利益配分によって実際の利益がどうなるのかもわかった。そのほか、事業をきちんと理解するために必要となる細かなことがあれこれわかった。このモデルをアニメーション用にカスタマイズするために必要な情報は、ディズニーに尋ねた。
ほどなく、アニメーション映画の財務モデルができあがった。粗削りとしか言い様のないものだったが、自分たちのモデルだ。じっくり学んで、完成度を上げていけばいい。出発点としてはこれで十分だ。サラも私も小躍りした。ひっそりとした小さな勝利がびっくりするほどの喜びをもたらしてくれることがある。我々にとってはそういう勝利だった。