認知資源
cognitive resource 認知キャパシティ
認知的処理を行う心理的努力の源
関連
実行制御が弱まると高額にお金を使う
実験
この現象の例では、ヴォースがダートマス大学の心理学者トッド・ヘザートンと進めた研究が私のお気に入りだ。実験のアイディアはきわめて単純で、もし意志力が有限な資源のようなものならば、ある状況で誠実に振る舞うために(たとえば、目先の利己的な報酬を我慢するために)意志力を使うと、次の状況で誠実に振る舞うのが難しくなるというものだ。これを検証するのに、ヴォースとヘザートンは二つの特別なタイプの参加者を選び出した。長期的にダイエットをしている人びと(ダイエット常習者)と、まったくダイエットをしない人びと(非ダイエット者)だ。参加者は、アイスクリームの味にかんする市場調査という触れ込みで募集された。参加者たちは到着すると、待合室で座っているように言われた。部屋には、実験スタッフが前もって各種のスナック(チョコレート菓子、トルティーヤチップ、フルーツキャンディー、塩味のピーナツなど)を、参加者が椅子に座ったまま手が届くところか、座っている場所から三メートルほど離れた部屋の反対側に盛っておいた。スナックまでの距離を変えることによって、スナックを我慢する難しさの程度を簡単に操作したのだ。
参加者たちが待合室で腰をかけると、実験スタッフから、隣の部屋で試食用のアイスが準備できたら戻ってくるので、それまでのあいだ、スナックを自由に食べていいと言われた。参加者たちのおもな違いは次の二つだったことを思い出そう。(1)一部の参加者は、積極的にダイエットしており、食事を控えると自分に約束していたが、ほかの参加者はそうではなかった。(2)一部の参加者は、簡単にスナックをつまめるところにいた(つまり、誘惑が大きかった)が、ほかの参加者はそうではなかった。なお、この実験では念のため、参加者に実験室に来る二時間前から何も食べないように伝え、全員を少し空腹の状態にしてあった。このような段取りによって、指のすぐ先にスナックが置かれていたダイエット常習者が、最も大きな誘惑を感じることになった。お腹がすいていて、スナックがすぐそばにあったにもかかわらず、食べまいと思っていたからだ。さて、ダイエット常習者のなかで最終的に誘惑に負けたのは、一四パーセントだった。一方、八六パーセントは目の前のスナックを我慢できたが、それらの人びとはスナックを我慢するために、おそらく参加者のなかで最も意志力を使った。
この時点で実験スタッフが待合室に戻ってきて、参加者を一人ずつアイスの試食に案内した。参加者は、アイスの入った大きな容器が三つ並んでいるところに座らされた。実験スタッフは参加者に、味を評価するための調査票を持って一〇分後に戻ってくると告げて部屋を出ていき、参加者は一人になってそれぞれの味を試食した。当然、ヴォースとヘザートンが本当に興味を持っていたのは、味に対する感想ではなかった。彼女たちは、参加者が実際に食べたアイスの量に注目していた。味の好みをみるのに、たくさん食べる必要はない。アイスクリーム屋のカウンターで差し出される、小さなプラスチックスプーンですくえる量で十分だろう。もっと言えば、まったく食べなくてもいい。ワインテイスターは普通、試飲用のワインを飲み込まない。とはいえ、ほとんどの人は試食としてアイスを多少は食べる。それはいい。ただし、どれだけたくさん食べるかというのは別の問題だ。
結果は、自分との約束を守るのには労力を要するという仮定から予想されるとおりだった。非ダイエット者が食べたアイスの量は、事前にスナックが手に取りやすかったかどうかであまり差はなかった。だが、ダイエット常習者ではずいぶん様子が違った。大きな誘惑──手の届くところにある山盛りのスナック──に打ち勝った参加者は、スナックが目の前になかった参加者に比べて、三倍近い量のアイスを食べてしまったのだ(七二グラムに対して一八二グラム)。その原因は、大きな誘惑にさらされた人びとが、ダイエットへの意欲に欠けていたからではない。彼らはほかのダイエット常習者と同じくらい意欲的だった。食べたアイスの量が多かったのは、とりもなおさず、実験の最初の段階でおいしそうなスナックを我慢するために多くの労力を費やしたからだ。そのせいで、信頼が試される事態がまた起こると──実験ではアイスの前に座った──、彼らはくじけた。もう意志力が残っていなかったのだ。
あなたは、これは食べ物の話にすぎないと思ったかもしれない。なるほど、彼らは空腹で自制心を失ったのかもしれないし、腹が減ったから食べたいというのは生物学的な欲求と言える。だが違う。ヴォースは、似たようなパターンを、多くの人が我慢しようと自分に誓う、ほかの事柄でも見出している。それはショッピングだ。彼女はこの研究で、自制心を要する比較的単純な作業を参加者に課し、そのあと自由に買い物をしてもらった。具体的には、実験の第一部で、参加者たちに心に浮かんだ考えを六分間で挙げるように求めた。ただ、ここに一つ仕掛けを作り、参加者の半数には、シロクマのことを除いて何でも好きなことを考えてよいと伝えた。正確には、彼らはシロクマについて考えてはならないとはっきりと言われ、もし考えたら、そのつど用紙に印をつけるように指示された。ばかばかしく聞こえるかもしれないが、これは心理学者のダニエル・ウェグナーが繰り返し実証した事実に基づいている。何らかの思考を抑制しようとすると、多くの場合、かえってそれを考えてしまう。私たちは不意に、いくらがんばってもそのことを頭から締め出せなくなるのだ。ウェグナーは、人びとの認知能力を疲れさせるためにシロクマのテクニックを何度も用いていた。
この実験では、思いついたことを列挙する段階が終わった時点で、参加者はリラックスしている人と、ストレスを感じている人とにはっきりと分かれた。それから参加者は一〇ドルを手渡され、そのまま帰ってもいいし、そのお金で目の前に並べてある二二種類の品物のどれを買ってもいいと言われた。品物はチューインガムやマグカップなどで、一ドル未満のものから五ドルくらいのものまであった。それらは必需品ではなく、レジで並んでいるあいだや雑貨店にいるときに衝動買いをしてしまう類たぐいの品だった。そしてこの実験では、「衝動」という言葉がぴったり当てはまる結果が出た。
ヴォースが購入パターンを見たところ、今回も予測が正しかった。自制心を働かせていた参加者──いまいましいシロクマについて考えまいと一生懸命に努力した人びと──は、そうしなかった参加者よりはるかにたくさんの買い物をしたのだ。自分の心を監視したり自制したりする必要のなかった人びとは約一ドルしか使わなかったが、自制に努めた人びとはその四倍の金を使った。衝動にかられた彼らは、より値段の高い品物を選び、よりたくさん買い物した。
こういった事例からは、近視眼的な見通しがもたらす危険がはっきりとわかる。将来の自分の行動を予想しようと先々に目をこらしても、たいていあまり見通しは利かない。それは、何かを望む気持ちが、そのときが近づくにつれてどれだけ強まるかを読み誤るからだけでなく、そのときが来たときに状況的な要因によって自制心がどれほど働かなくなるのかを読めないからでもある。今日の時点では、おいしそうなアイスクリームサンデーを食べたり新しいスーツやドレスを買ったりといった楽しみを我慢するのは簡単に思えるかもしれないが、その予想が正しいと思い込んでいたら、墓穴を掘るだろう。少なくとも、自分との約束を守るのがより困難な状況にみずからを追い込むことになる。
疲れたヒトは意思決定がうまく出来ない
私たちが言おうとしていることの一例を考えてほしい。1985年に、シアトルのリッチ・コメンとその息子グレッグ・コメンは、あるマーケティング戦略をもとにシナボン社を設立した。「世界最高のシナモンロール」をその場で焼く店舗を出店しようというのだ。
シナモンの香りは、蛾にとってのフェロモンと同じような魅力を保つ。物語によると「インドネシアへの無数の旅」により「上等のマカラシナモン」を入手したのだという。シナボンはマーガリン入りだ。880キロカロリーある。そしてフロスティングが大量についている。「人生にはフロスティングが必要」というのがシナボン社のモットーだ。そして店舗は、プラカードと標語とともに、その香りと最高のシナモンロールという物語に弱い人々の通り道を慎重に選んで出店している。しかも空港やショッピングモールなど、あまり時間のない人を狙っている。もちろんカロリーについての情報は掲示されているけれど、見つけにくい。
シナボンは爆発的な成功をおさめているが、それはおいしいシナモンロールのおかげだけでなく、コメンの戦略のおかげでもあり、それが何度も何度も繰り返されている。いまや世界30カ国以上に、750店舗以上のシナボン販売店がある。ほとんどの人は、飛行機が遅れたのを待っているときに、まさにそこにシナボンの店があるのは当然だと思っている。人々に弱みが生じる瞬間を理解するためにどれほどの努力と技能がつぎ込まれ、それを活用する戦略を考案するのにどれほどの工夫があるかについては、なかなか気がつかない。またほとんどの人は、健康な食生活をしたいという私たちの計画を台無しにするシナボンの存在が、自由市場均衡の自然な結果だとは思わない。でも実はそうなのだ。