術の体系と信条の体系
「AgileやTOCが宗教っぽい」という感想
AgileやTOCは宗教っぽいという感想をそれなりの頻度で聞きます。ようやくひとつの解答を得たので書いてみます。
術の体系と信条の体系
術の体系と信条の体系という考え方があります。
日本の文化観は術の体系です。比較として分かりやすいのがイスラム教です。イスラム教は信条の体系です。
信条の体系
イスラム教では酒や豚肉が禁止されています。
イスラム教圏の方が酒や豚肉を食しているところを見たら「この人はイスラム教徒ではないんだな」とつい思ってしまいます。実はこれは術の体系の捉え方になります。世界には全く異なる捉え方があります。
イスラム教では禁止されていることをしていたとしても、宗教的に咎められることはなく、その教徒であり続けられるそうです。どのような行動をしているかよりも、なにを信じているかが大切であるという捉え方だからです。
(もちろんイスラム教の人も、人に危害を与えることはよくないと考えています。イスラム教信者同士の紛争地域で暴力行為はいけないことだと主張しますが、あいつらはイスラム教信者ではないとは主張しないようです。)
神を信じていることが重要であって、行動が伴っているかは別の話という考え方なのです。
(禁止されていることを疎かにしてもよいというわけではなく、禁止されていることを信じていることが大切)
どんな行動をしているかよりも、何を信じているかが重要とする考え方です。
術の体系 日本文化
日本は術の体系です。
神社にお参りに行くとしましょう。
賽銭をあげて、二礼二拍手一礼し、商売繁盛、恋愛成就、無病息災を願います。
別の国の人から見ると神社へのお参りは宗教行為です。ところが、その胸の内にあるのは、祭られている神への信仰ではなく、何かしらの見返りです。対価を求めます。神事に対して功利的な行動をとります。
神道、仏教の儀式や行動様式は私たちの生活に根付いていますが、神道や仏教をもっと学ぼうとする文化的な促しはありません。参拝者は何が祭られているかを知らずに参拝していることもあります。神社もお寺も参拝者に宗教的学びや探求を期待しません。
一方で「閾を踏むな」といった様々な行動の禁止事項があり、戒律となっています。破れば失礼に当たり、ものによっては破門となります。手を清めたり、二礼二拍手一礼を守らせたりと作法には厳格です。
東京都神社庁に作法が紹介されています。多くの行動を要求します。
どんなことを信じているかよりも、どんな行動をしているかが重要とする考え方です。
異なる捉え方がショックを引き起こす
信条と術の体系があることを説明し、日本文化は術の体系であることを簡単に説明してみました。
術の体系で物事を見ている人にとって、信条の体系の人の考え方はショックを受けるかもしれません。例えば心の持ちようやあり方に「踏み込まれる」のはショックを受ける、ということです。
AgileやTOCは「マインドセットの受け入れ」「暗黙的な固定観念を明らかにすること」によって、今まで慣れ親しんできた行為を見直し、今まで解決できなかった問題を解決できるようにしました。
やり方(HOW)を変えるために、やり方だけでなく、考え方や価値観(信条)の学習を求められているわけです。戸惑いが「宗教っぽい」「カルトっぽい」という反応を生んでいるのかもしれません。
価値観契約の時代へ
いくつかの企業が自社文化を明らかにしはじめ、しばらくたちました。まとめられたものをカルチャーブックと呼んだりしています。初期で有名なのはザッポスや38signals。ここ数年の中ではNetflixが公開して話題になりました。
この明示化された文化や示される規律は従業員はもちろん、社長であっても、場合によっては株主も従います。
採用においても、相手が単に優秀であるかだけでなく、文化に合うかどうか評価されるようになりました。カルチャーフィットですね。具体的には信条や価値感のフィットかなと思います。
企業と働く人の間には契約があります。契約の中心に、単に優れた行動(作法)ができるだけでなく、優れた価値観(信条)も欠かせなくなってきていると思います。