瞬間的動機と深層動機
その場限りのモチベーションと深層的モチベーション
私たちは自分が何を知りたいのかを見きわめようとしているのだとも言える。欲求を育てているのだ。スザンヌ・ハイディやケン・バロンら研究者の言葉を使うと、私たちは一種の「その場限りのモチベーション」を発達させてきた。その場限りのモチベーションを目の前にぶら下げたニンジンと考えれば、ドーパミンを注入された衝動に火をつけるのは何か、誰しも思い当たるところがあるのではないだろうか。きらびやかな画像、楽しげな音楽、あるいはネコの動画が二本もあれば十分かもしれない。
このモチベーションは持続する場合もあり、例えば午前中いっぱいかけて「年を取ったと感じさせる四〇のこと」という記事に掲載されたリンクをすべて読んだりすることもあるだろう。だが通常、このモチベーションは長持ちしない。生まれてすぐに消えてしまう。目や耳に訴えかける次の何かに私たちはもう心を奪われている。
それとは対照的に、「深層的モチベーション」とでも呼ぶべきものがある。このタイプのモチベーションにはもっと奥行きがある。その場限りのモチベーションが目の前にぶら下げたニンジンだとするなら、深層的モチベーションは罠に似ている。人格の根源的な部分に食い込むので、この種のモチベーションに動かされると、人は有機化学の研究やフェンシングのエペ種目の技をきわめるのに何十年も費やす。
ではその場限りのモチベーションはどうすれば深層的モチベーションになるのだろうか。答えは価値の概念に戻ってくる──結局モチベーションを罠として機能させるのは、やるに値するという感覚なのだ。その場の状況に動かされた衝動と個人に根ざした衝動を分けるものは意味であり、何かに意味を見いだしたとき、モチベーションはその人自身のものになる。
ハイディや共同研究者のアン・レニンガーら心理学者が、その仕組みを解明してみせた。モチベーションは最初の段階ではたいがい、その場の状況から生まれた興味にすぎない。だから、例えば「オッカムの剃刀」〔説明は簡潔なほど優れているという考え〕をテーマとしたユーチューブの動画に出合ったとする。力強く勢いのある動画だ。あなたは注目して見入る。
第二段階では、そのテーマに何らかの価値を見るようになる。あなたはユーチューブの動画を見るうちに、オッカムの剃刀の法則が議論に勝ったり問題を解決したりするのに役立ちそうだとわかってくる。そこで動画の視聴を続ける。この動画は自分に価値があるからだ。
第三~四段階では、モチベーションに自分ならではの意味合いが強まっていく。テーマへのあなたの注目度が高まれば、その関心がいっそう豊かなモチベーションに発展する可能性がある。オッカムの剃刀についての知識が深まると、あなたはこの概念をいろいろな角度からとらえることに価値を見いだし、医学やスポーツなど別の分野にはどう応用できるだろうと好奇心が湧いてくるはずだ。