客観性
科学における探究では、すべてとは言わないまでもほとんどの場合、仮説の検証や変数値の推定が行われる。そこでは二種類の誤りのバランスをとることが必要となる。仮説の検証におけるこれらの誤りとは、仮説が真であるにもかかわらず仮説を破棄する誤りと、仮説が偽であるにもかかわらず仮説を採用する誤りである。当然、この確率の両方を同時に最小にしたいのだが、残念ながら一方を最小化すると他方が最大となってしまう。したがって、これらの確率を設定するには二種類の誤りのうちどちらをどれだけ重視するかの判定、つまり価値判断が必要となる。
客観性は、探求や意思決定において価値から離れて判断を行うことによって成立するのではなく、価値を十分に取り込んだ判断をしてこそ成立するのである。取り込む価値の範囲を広げれば広げるほど、結果はより客観的になるのである。ある決定が客観的となるのは、その決定に係わる人々の価値をもれなく含んでいるときのみである。それゆえ、客観性は決して到達することはできないが、努力により少しずつ接近できる理想なのである。
客観性は、個人の研究や意思決定者が近づくことのできるものではない。多様な価値観をもつ個人によって構成されるグループによってのみ接近できるのである。客観性とは、個人の科学者ではなく、システムとしてとらえられた科学によってはじめて接近できる性質のものである。
これは経営にとって重要な意味を含んでいる。ある意思決定によって影響をうけるべての人々、すなわちステイクホルダーにとっての価値が、その決定が行われる際に考慮されるべきであり、ステイクホルダーを意思決定過程に参加させないでその人たちの価値を取り込んで判断することは不可能である。自分達に影響を及ぼす意思決定に参加する機会をその人々から奪い去ることは、彼らを見下していることであり、私には非道徳的であるとさえ思えるのである。管理者たちはそりの意思決定によって影響をうけるすべての人々に対して倫理的な義務を負っているのであり、自分達の働きに対して給料を払ってくれる人々に対してだけ義務を負っているのではない。
出典