契約書
契約書
まず起きないであろう不測の事態を記述するのが大変だった。たとえばポイントリッチモンドで地震が起きて映画の完成が遅れたら、それはピクサーの責任になるのか。地震のリスクに対し、どこまでピクサーを保護すべきなのか。理不尽な話ではない。悪名高いサンアンドレアス断層の近くであればなおさらだ。
ほかにも、この契約で制作する映画のためにコンピューターを買い、その費用をディズニーとピクサーで分担した場合、ピクサーは、そのコンピューターをディズニー以外の案件でも使っていいのかなども考えなければならない。使っていいとするなら、その分の費用をディズニーに支払うべきか。リスクや不測の事態などいくらでもあり得るわけで、どこかで線を引き、前に進まなければならない。その判断も、いい交渉担当者に求められる能力である。交渉では、前に進む勢いと恐れの綱引きが続く。リスク管理が大事なのだ。
草案作成の早い段階で取りあげた項目を例に説明しよう。トリートメントと呼ばれる企画書に関する項目だ。新契約で映画を作成するにあたり、ピクサーからディズニーに企画書という形で映画のアイデアを何本か提出する。ここまではいい。では、なにをもって企画書と言うのだろうか。インデックスカードに1行、「父親が息子捜しの旅に出る。なお、親子とも魚である」でもいいのか。これはさすがに無理があるだろう。だから、契約書では細かく指定することになる。つまり、3ページ以内の文書で、そこから脚本を書き起こせるレベルのもの、という具合だ。
ところが、ピクサーは、スケッチや短い絵コンテを使うプレゼンで企画を提出することが多い。どうすればいいのか。そのやり方も契約書に記載しておくのだ。ディズニーとしては新作の企画が欲しいのであって、続編や前日譚では困る。これも契約書に明記しておく必要がある。
さて、企画書が提出されたあとはどうなるのだろうか。ディズニー側で検討する期間はどのくらいが適当か。いくらでも時間を使っていいのか。3カ月か(ピクサーにとって長すぎる)。2週間か(ディズニーにとって短すぎる)。ディズニーがいつまでも回答しなかった場合はどうなるのか。ほかのなにかで忙しいのかもしれないし、ピクサーの映画に飽きたのかもしれない。企画書が書類の山に埋もれているのかもしれない。そうなったとき、ピクサーは好きにしていいのか。企画を検討するチャンスがディズニーにはあったのだから? 回答がないのはピクサーの責任じゃないのだから? では、ディズニーが回答せず、ピクサーが見切り発車した場合、承認もしていない映画をディズニーブランドでディズニーが配給しろと言えるのか。
いずれも不測の事態であり、基本的には起きないものばかりだ。現実には、ピクサーのストーリーチームがディズニーと協力して企画書の検討や修正にあたり、契約書の出番などないはずだ。契約書が持ちだされる事態など、そうそう起きるものではないのだ。だが、契約を締結するなら、適切な形でリスクをカバーし、万が一なにか起きたらどうするのかわかる契約書にしておかなければならない。
「派生物」と呼ばれるものの取り扱いも決めなければならない。映画を制作したあと、その続編や前日譚、テレビ番組、テレビゲーム、アイスショー、ブロードウェイミュージカル、テーマパークのライドなど、さまざまなものが生みだされることがある。これを生みだす権利はピクサーにあるのか。ピクサーが作った場合、その費用や利益をディズニーとどう分けるのか、その流通はディズニーが責任を負うのか。派生物をピクサーが作らずディズニーが作った場合、ピクサーに料金を支払うのか。支払うとしたらいくら支払うのか。