因果関係
原因と結果の関係
あれなければこれなし
疫学における因果推論
今日伝えられる,疫学における因果関係を考える上での基準は,SurgeonGeneralが喫煙と健康に関する報告書で示した5つの基準(一致性consistency,強固性strength,特異性specificity,時間性temporalrelationship,整合性coherence))や,Hillの9視点(強固性,一致性,特異性,時間性,生物学的勾配biologicalgradient,説得性Plausibility,整合性,実験experiment,類似性analogy))が有名ではあるが,その原型はYerushalmyとPalmer)に遡れるとされる。YerushalmyとPalmerの論文に対してSartwellは,アルコール,大気汚染,溶連菌などの原因が,それぞれさまざまな多くの病気を引き起こすことから,1対1の古典的な因果関係の考え方を要求している特異性に関し疑問を呈している)。
Surgeon Generalが喫煙と健康で示した疫学的因果関係(アメリカ公衆衛生局)
一貫性
場所や時間、状況を変えても同じ結果が得られる
整合性
既存の知識と矛盾せず、整合している
時間性
結果の前に原因がある
強固性
原因の度合いが、結果の度合いに相関する
特異性
原因を取り除くと、結果が生じなくなる
Hillによる因果関係9視点(1965)
強固性Strength 原因が結果の発生に強く作用する
一致性Consistency 馬車、滋養教、時間問わず、繰り返し観察される
特異性Specificity 原因と結果が対応している
時間計Temporality 結果の発生の前に原因に曝されている
生物学的勾配Biological gradient 量と反応の関係がある
説得性Plausibility 現在の知見から説明できる
整合性Coherence 対象領域で知られた事実と矛盾しないこと
実験的証拠Experiment 実験証拠があること
類似性Analogy 類似の因果関係の証拠がある
事実的因果関係の疫学的証明について
Hillによる因果関係9視点の注意点
基準を用いることの問題点は,その後多く出されて来た。もともと"Hillの基準"として引用される論文2)で挙げられている項目は決して厳密な基準(以下クライテリア)ではなく,あくまでも9つの視点(aspect)であり,また決して必要条件でも十分条件でもない。Greenlandは,Hillの視点の使われ方を原型から換言解釈されて行った良い例(典型例)だと述べている6)。Hill自身も述べているように,これらはクライテリアの意味の基準ではない2,4,6)。また,統計的推論では偽陰性の確率が大きいので,これらの基準を用いる時は肯定的に因果関係を捉える際の肯定的目安とするべきであるとする主張もある42)。それでもクライテリアとして使う例が多かったため,Rothmanは基準の一つひとつを取り上げ,徹底的にそれらに論理的根拠がない事を示している4,5)。これらの視点をチェックリスト的,つまり除外診断的に使うと,懐疑主義が勝ってしまうことは容易に想像できることである。Rothmanが指摘しているように,基準のうち原因と結果の前後関係を規定した時間性(temporality)以外は部分的な因果関係の概念に過ぎず4),この基準をすべての状況を想定した一般的な基準に使うのは誤っている。つまり,現在検討されている原因と病気の因果関係のモデルにそれぞれの基準が適切かどうかの検討や,適切かどうかの水準の決定もなされずに,これらの基準を一般的なクライテリアとして,あるいはチェックリストとして安易に適用するのは,明らかな間違いである。しかし,我が国では総説や報告書等で今だにこれらの基準が除外診断的に使われている。例えば,新潟県のヒ素中毒地域で多発した肺癌43,44)について,「時間性」と「整合性」が認められないという理由で因果関係に関する判断を回避した新潟県の報告書の例がある45)。チェックリスト的に使うと,因果関係に関する判断をしない方向(懐疑主義的方向)に向かう例といえる。またこの例は,個々の基準が恣意的に用いられた例でもある。個々の基準の意味が厳密でないため,基準に合致しているかどうかが恣意的になってしまうのである。例えば,「時間性」については,原因と疾病の前後関係という従来の解釈からは逸脱した解釈がなされ,暴露地域と非暴露地域の暴露開始から死亡までの平均年数や肺癌死亡時年齢を比較している。また「整合性」についても,動物実験では発癌性がほとんど示されていないにもかかわらず,人体における発癌物質であると認められているヒ素の事情を全く無視している。
疫学の議論の中で「因果関係を証明する」という言い方が簡単になされる一方で,その「証明」とは何を意味するのかの合意はさほど得られていないのが現状である。数学や古典物理学でなされるような「証明」と同レベルに語られている場合もあり,各人各様の「証明」の解釈で議論を行うため,因果関係についての議論がかみ合わない原因の1つになっている。これまでのところ日本では報告書や総説に,Hillの9つの視点2)やそれに類するものが無批判に「基準」として使われ,誤用に結び付いているのが実状であろう3)。これらの因果関係の判定のための基準は,因果関係の推論を誤解させる恐れがある上に,実在する証拠を基に論理を構築する場合に,この基準のいくつかが満たされないとの理由で,懐疑的立場の人に否定のためだけの議論をさせてしまう危険性がある4,5)。さまざまな因果関係に関する基準が提出された1960年代に比べ,現在では因果関係に関する議論は大きく深化しており,わが国でもその成果を取り入れてゆく必要がある。
医学における因果関係の推論-疫学での歴史的流れ
事実的因果関係の疫学的証明について
原因と結果の関係パターン
1:1
1:多
多:1
多:多
交絡
https://gyazo.com/6531814c60f3e9460584462828afed4d
「因果関係、因果態、原因性などともいい、原因と結果との規則的なつながりをさす。すなわち、すべての現象が原因をもち、原因なくしてはいかなる現象もおこらないという関係のこと。原因と結果との関係は広義に解された理由と帰結との・・95 関係にふくめられる場合もあるが、ふつう前者は事実と事実との実在的関係、後者は命題と命題との論理的関係として区別される。また因果の関係は、原因の意味をどう解するかに応じてさまざまに考えられるが、一般には、超自然的なものの介入によってさまたげられない自然的因果性を意味する」(哲学事典[1971:95-96])
原因の結果を引き起こす産出力
「AがBを引き起こすことがAにとって本質的ことだとすれば、AはまさにBを引き起こす因果的産出力をもつと言える。たしかにそのような産出力をAのうちに見出すことはできない。したがって、Aにそのような産出力を認めることは経験的になされることではない。しかし、それはいわば形而上学的決断に基づいてなされるのである。Aをどのような本性をもつ出来事と見なすのか、AをBとは独立に存在するようなタイプの出来事と見なすのかということに関する非経験的な決断に基づいて、AがBを引き起こす因果的産出力をもつこと、それゆえAとBのあいだに因果関係があることが認められるのである。
因果関係は、原因事象と結果事象が互いに独立に存在しうるのではなく、本質的に互いに依存しあって存在するという出来事の存在論が必要であることを示唆している。いかなる出来事のあいだに因果関係を認めるかということは、それらの出来事の本性を非経験的に定めることである。因果の概念は経験的な概念には還元不可能な、すぐれて形而上学的な概念なのである」(信原[2002:86])
因果関係を記号論理でどう表すか