児童労働
児童労働
「アークライト、ワット、クロンプトンを始めとする偉大な発明家たちの功績により、大人より子供のほうがまさるという現象が起きている。子供のほうが賃金も低く、物覚えも早い」と証人が述べている(46)。アークライトの最初の紡績工場の工員は小さな子供ばかりだったし、ハーグリーブスのジェニー紡績機は子供一人で八〇~一二〇個のスピンドルを担当できるように設計されていた(47)。ミュール紡績機でスピンドルの数が増えると、工場で働く子供の数も増えていく。子供と大人の数の比率は、当初は二対一だったのが、やがて九対一にまで達した(48)。毛梳き作業も事情は同じだった。ユアによると、「工場にはたくさんの梳毛機が据え付けられている……洗って乾燥させた羊毛は梳毛機にかけてほぐして引き延ばすが、この作業に従事するのは一〇歳から一四歳ぐらいまでの男の子だ」という(49)。一八三〇年代には、労働力に占める子供の比率は繊維産業で二分の一、石炭採掘で三分の一に達していた(50)。
工場経営者にとって、子供は大人に代わる安上がりな労働力である。子供には食事と寝るところをあてがいさえすればいいし、賃金を払うとしても大人の三分の一~六分の一だった(51)。子供は安いだけでなく、言うことを聞かせやすい。しかも大人の労働者の場合には飲酒が大きな問題になっていたが、子供にはそれもない。