信念体系と不信体系
belief system / disbelief system
・人が信じていることは、その人にとっての「信念体系」である
・信じていないことがらは、その人にとっての「不信体系」である
・不信体系に心を開くことが開かれた心をもつということである
・閉ざされた心は不信体系にある物事を区別できない
もしあなたが一応安定した、まともな人であるなら、あなたは、自分自身の信念体系を享受するだけでなく、不信体系についての情報に対しても、心を開くであろう。(あなたがカトリック教徒であっても、プロテスタントやユダヤ教や仏教などについての情報を受け入れることができるであろう。そして、あなたが信じていない様々の思想体系の間の相違を理解することができよう。)ロキーチ氏はいう、不信体系についての情報に対して心を開くということが、開かれた心を持つということになるのだ、と。
しかし、もしあなたが慢性的に安定しない、不安な、おびえた状態にある時は、あなたは自分の信念体系に必死にしがみつき、現実のあるいは想像上の脅威に対して自分を守ることに忙殺されて、不信体系についての情報を取り入れようとしない。すなわち、もし「共産主義」と「社会主義」とがともにあなたの不信体系の一部となっているとすれば、あなたがおびえた状態になればなるほど、両者の区別をつけることがいっそう難しくなる
その人が信じていない各種の物事の間の相違を区別できないということが、閉ざされた心を特徴づけるものである