主客一体
主人と客との関係
-
主観と客観の関係
原題のいわゆる客観主義者の美学上の見解では、あるものが美しいのは、基本的には物質の形態的な特質に左右される。建築物の場合、内部での生活には関係なく、それが外見上どのように見えるかということが問題になる。この見解がきわめて排他的であることは、雑誌や本に掲載される人の写っていない現代建築の写真を見れば明白である。
しかし一方の主観主義者の見解も、満足いくものではない。何かを美学的価値のあるものにしているのは、それ自身のもつ特質ではなく、それを見るものの個人的好みによるものであるという考え方をとっているからだ。
この二律背反は、アレグザンダーの意見とは相いれないものだ。彼にとってのものの美しさとは、外見のみにあるのではなく、その存在自体にあるのだ。
「私にとってものが美しいということは、単にそれがどのように見えるかということではありません。それがいかにあるかに関係するのです。つまり、そこで起こっているさまざまなできごとの間の関係をも含んでいかに『存在する』かということを問題にしているのです。われわれはあるものが透明体のように通せるとき、それを単純に美しいと思ってしまう傾向があります。しかしそのように直感的に受けた印象を拡大解釈し、それをビルの外観についての感想であると思い込んでしまいます。しかしよく考えれば、その感想はビルを一瞥したときにふと思い浮かんだ第一印象にすぎないということがわかります。(中略)つまり、内面の生活が重要だということです。私が『ものを美しくする』というとき、基本的にはこのことをいっているのです。」