レイ・ソロモノフ
1952年、マービン・ミンスキーやジョン・マッカーシーといった機械知性に興味を持つ人々に出会った。1956年にミンスキーやマッカーシーらが開催したダートマス会議にも参加している。1カ月間行われた会議で、最初から最後まで参加したのはミンスキーとソロモノフだけだった。この会議参加者によって初めて人工知能が学問分野の名称とされた。当時のコンピュータは非常に限定された数学の問題を解くことはできたが、それだけだった。ソロモノフは、機械をより汎用的に知的にするにはどうすればよいか、そしてそのためにコンピュータがどのように確率を扱えばよいかという大きな問題を追求したいと考えていた。会議中に "An Inductive Inference Machine" と題したレポートを書き、参加者に回覧した。それは機械学習を確率的なものとし、学習の重要性を強調し、過去の問題の解法の部分を新たな問題の解法構築の試行に利用するという考え方を提示したものである。1957年にはそれまでの結論をまとめて発表した。それらは確率的機械学習について書かれた世界初の論文である。
1950年代後半、確率的言語とそれに関連する文法を考案。確率的言語は、それぞれの可能な文字列に確率値を割り当てる。確率的文法の概念を一般化することで、1960年の Algorithmic Probability の発見へとつながった。