ニコラ・テスラ
一八八六年のカリスマ的発明者であり未来主義者でもあるニコラ・テスラによる、交流誘導モーターとトランスの発明が転換点となり、「電流戦争」の火蓋が切られた。アメリカではこれはトーマス・エジソン・カンパニー(後のゼネラル・エレクトリック)とジョージ・ウェスチングハウス・カンパニーの大乱戦を意味した。皮肉なことに、テスラはエジソンのために直流送電を完成させようと、出生地セルビアからアメリカに来ていたのだった。彼はこの仕事に成功したのに、もっと優れた交流システムの開発へと移り、やがてその特許をウェスチングハウスに売却した。最終的に交流が勝利を収め、今や世界の送電で支配的になったが、直流は二〇世紀にかなり入っても存続していた。私はイギリスの直流電力の家で育ったが、地域が交流に切り替わって二〇世紀に仲間入りをしたときのことはよく覚えている。
ニコラ・テスラについては、なによりもその名前がかっこいい高級電気自動車を製造する、華々しい自動車メーカーに乗っ取られたので、聞き覚えがあるだろう。最近まで、物理学者と電気技術者以外はみんなも彼のことを忘れていた。生前は電気工学技術における大きな偉業だけでなく、かなり狂気じみた考えと斬新なショーマンシップで有名で、『タイム』誌の表紙すら飾った。稲光、殺人光線、電気刺激による知能向上をめぐる研究と考察、写真のような記憶力、睡眠も親密な人間関係も不要に見えること、そして中央ヨーロッパ風の訛りによって、彼は「マッドサイエンティスト」の原型となった。その特許で大儲けしたのに、彼はそれを研究資金に注ぎ込み、一九四三年ニューヨークで死んだときは極貧だった。彼の名は過去二〇年で大衆文化における大復活を遂げ、その集大成として、かの自動車メーカーに使われることとなったわけだ。