エンゲルスの休止
エンゲルスの休止
エンゲルスは、産業革命期には事業家が「大多数の賃金労働者を犠牲にして裕福になった」と指摘した。この指摘は、彼の観察した期間に関する限り、おおむね正しい。労働者階級が機械化に空しく抵抗するのを尻目に、イギリス経済は前例のない高度成長期を迎えていた。経済理論からすれば、実質賃金が横這いか減っている傍で経済が成長するというのは説明に窮する。
エンゲルスは、産業革命期には事業家が「大多数の賃金労働者を犠牲にして裕福になった」と指摘した。この指摘は、彼の観察した期間に関する限り、おおむね正しい。労働者階級が機械化に空しく抵抗するのを尻目に、イギリス経済は前例のない高度成長期を迎えていた。経済理論からすれば、実質賃金が横這いか減っている傍で経済が成長するというのは説明に窮する。
だが今日の経済動向を踏まえて、技術の進歩と労働分配率の低下の同時進行を説明するモデルが開発されており(70)、以下で述べるように、産業革命期を理解するうえでもこのモデルが役に立つ。かんたんに言えば、既存の仕事において機械が労働者に取って代わるようなら、賃金は下がり、国民所得に占める労働者の取り分、すなわち労働分配率も減る。
対照的に、労働者を助けて補うような技術が導入されるなら、既存の仕事の労働生産性は向上する。あるいはまったく新しい労働集約型の仕事を発生させるような技術であれば、労働需要は拡大する。となれば、産業革命期には導入された技術の大半が労働置換型だったのだから、生産高と賃金の乖離は必然だったということになる。家内工業に従事していた職人は機械に置き換えられ、その機械の世話をするのは低賃金の子供になった。国民所得に占める資本家の比率が高まったという事実は、技術の進歩がもたらした利益の分配が非常に偏っていたことを示す。利益の大半は事業家が手にし、それを新たな工場や機械設備に投資した。この時期をロバート・アレンは「エンゲルスの休止」(Engels'pause)と名付けている(71)。