銀の弾丸
専門家の視野狭窄
血管を広げる金属のチューブ「ステント」で、胸の痛みを治療することに特化した心臓専門医の例がある。ステントはものすごく理にかなっている。患者が胸の痛みを訴えて来院する。画像では動脈の一部が狭くなっているのが見える。そこを広げるためにステントを設置し、心臓発作を予防する。この理屈は非常に説得力があるので、ある有名な心臓外科医は「オキュロステノティック・リフレックス(oculostenotic reflex)」という言葉までつくった。「oculo」はラテン語で目を意味し、「stenotic」はギリシャ語で狭いという意味だ[reflex は反射の意]。全体としては「狭い部分を見つけたら、反射的に治す」という意味になる。しかし、ステント治療と従来の薬物治療の成績を比較した研究でわかったのは、持続的な胸の痛みがある患者にステント治療を施しても、心臓発作を防ぐ効果も、患者の寿命を延ばす効果もなかった。
ステント治療に特化した心臓病専門医は、複雑なシステムのごくわずかな部分を見て、そこだけを治療している。心臓血管のシステムは台所の流しとは違い、詰まったパイプを直しても通常は効果がなく、容態が安定している心臓病患者にステント治療をしても、重篤な合併症を引き起こすか死亡する確率は下がらないという(注34)。鳥の目で見た証拠があるにもかかわらず、このステントという道具に特化している心臓専門医は、ステントが効果を発揮しないとは信じることができない(注35)。ステントを使うのをやめろと言われることは、ステント専門の心臓専門医であることを忘れろと言われるようなものだ。
「ステント治療は理にかなっているが、効果的ではないようだ」とわかっているのに使おうという直感が働く。そのことは、2015年の研究結果の説明となるかもしれない。[「はじめに」でも触れたが]全国的な心臓病学会が開催されて、何千人ものトップの心臓専門医が病院を留守にする期間は、入院した心不全の患者の死亡率が下がるという。心臓専門医のリタ・F・レッドバーグはこう記す。「大きな心臓病学会で、私は同業者たちと『心臓発作を起こすなら、この会場が世界で一番安全な場所だ』とよく冗談を言っていた。しかし、(心臓病学会についての研究によって)その分析は覆された(注37)」
世界中で最も一般的な整形外科手術の一つに、損傷した半月板を削って、もとの三日月のような形に戻すというものがある。半月板とはひざ関節にある小さな軟骨だ。患者が膝の痛みを訴えて来院し、MRIによって半月板の損傷が見つかると、整形外科医はそれを手術で治そうとする。フィンランドにある五つの整形外科クリニックが、この手術と「疑似手術」とを比較した。疑似手術では、半月板を損傷して痛みを訴える患者を手術室へ連れていき、切開して手術をしたふりをし、元通りに縫合して、そのあと理学療法を受けさせた。その結果、疑似手術も同じように効果的だった。実は、半月板を損傷した人の大半には何も症状が現れず、損傷していることに気づかない。半月板を損傷し、その上に痛みがある人でも、その痛みが損傷とは全く関係がない可能性がある。