ドラッカー
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ピーター・F・ドラッカー
経済人の終わり
ファシズム全体主義は、経済的な不平等を非経済的な報奨によって相殺する。これを実現するためにいくつもの組織が作られ、それら組織活動への参加は強制される。また、個人の社会的地位は経済的地位とは分離され、職場の長やその息子は、党歴が若干でも長い肉体労働者の下に意図的に配属される。
ファシズム全体主義は信条を持たず、新しい価値や秩序をもたらすものではない。それゆえ自らの組織を至高のものとして位置づけることに成功している間しか奇跡を実現することはできない。大衆はファシズム全体主義にのめり込むほどに熱烈に他のものを求める。そしてファシズム全体主義の道に代わるものが示されるや、ファシズム全体主義のあらゆる魔術が悪夢のように消えることになる。
『産業人の未来』
自らの社会的役割を求める個人が集まった社会として有効に機能させるために産業社会の構築という考え方を示した。とりわけアメリカで見出した株式会社という組織に注目する。株式会社がいわば社会学的な中間団体となり、その中で経営者と労働者が役割分担をしていく、それを円滑に進めるためにマネジメントが要請された。役割分担がうまくいってはじめて社会は有機的に機能する。個人がバラバラのままだったら、政治権力が直接統合に乗り出して奴隷制を作り出してしまう。ドラッカーはこうした社会的“自治”の観点から株式会社組織を捉えていたと言える。
20世紀型の大都市は、19世紀の偉大なイノベーション、すなわち人を仕事の場に運ぶ能力によって実現された。
汽車、電車、自転車、自動車が人を動かした。
全体主義国家は、新聞、映画、ラジオなど近代メディアの産物であり、情報を完全にコントロールすることによってのみ可能だった。
21世紀にはこの20世紀型の大都市が、20世紀に行なわれたイノベーション、すなわち仕事を人の要る場所に運ぶ能力によって変えられる。 これからは、人ではなく思考や情報が動く。今や、国による情報のコントロールなどおよそ不可能である。
仕事の場の変化が仕事の方法を変える。仕事の内容を変える。こうして情報技術が社会を変える。ただし、それがいつ、いかに行なわれるかはまだわからない。
生物的なシステムでは、規模は機能によって決まる。これからはあらゆる組織にとって、「いかなる規模が適切か」が問題となる。
21世紀の重要課題はすべて、あたかも #命あるもの のごとく、全体を全体として捉える知覚的な能力によってのみ理解が可能となり、解決が可能となる。