生命は情報となりガイアが更新される 2020.05.01
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ジェームズ・ラヴロックが、齢100歳にして上梓した新刊『 ノヴァセン:〈超知能〉が地球を更新する』がこのたび邦訳された。環境運動の論理的支柱ともなったガイア理論をシンギュラリティ的世界観で更新した本書は、ポストアントロポセン(人新世)における人類とテクノロジーの役割を大胆に逆転させる。その全貌の一端を、『WIRED』日本版編集長の松島倫明による「訳者あとがき」から紹介する。
本書で紹介されるブローティガンの「愛にあふれ気品に満ちた機械がすべてを監視していた」という詩についてラヴロックはこう語る。
一方にはヒッピーがいて、自然に戻ろうという理想主義を抱いている。他方には冷戦体制があって、コンピューターとサイバネティクスの文化があった。ブローティガンが謳っていたのは、自然に寄り添って働く良性のサイバーシステムをつくることで、政府と巨大企業を消し去ることができるという考えだ。
彼はこう続けるのだ。実のところブローティガンが思いついたものは、初期の、そしてある意味で正確な形のノヴァセンだった。
ブローティガンがドラッグと詩作に励み、ラヴロックがガイア仮説を編み上げていた60年代に、全人類が「コスモス」に目覚める出来事があった。NASAが宇宙から撮影した地球の写真を初めて公開したのだ。地球上のすべての生命は、いわば宇宙船地球号に乗る同胞なのだという感覚が初めて視覚的にもたらされた。ラヴロックに言わせれば、それこそが、ガイアの目覚めの瞬間だ。
NASAに対して地球の写真の公開請求運動を起こしたことでも知られるスチュアート・ブランドは、NASAの公開と同年、伝説の雑誌『 ホール・アース・カタログ 』を創刊し、表紙にその写真を掲載した。WECが掲げた思想そしてブローティガンが描いた世界、つまり「適正なテクノロジー」を使うことで人間と地球の共生を目指すというヴィジョンを、わが『WIRED』は直接に受け継いでいる。
ラヴロックのガイア理論に慣れ親しんだ方々にとって、本書は驚きと戸惑いをもって受け止められたのではないだろうか。何しろガイアが自己に目覚めていくこの宇宙論的目的を達成するために、人間に代わって超知能が後を継ぐというのだ。
#レイ・カーツワイル が唱えたシンギュラリティは近いやユヴァル・ノア・ハラリが描く『ホモ・デウス』のような超知能の世界は、一見、自然とは真逆のディストピアに思えるだろう。だがラヴロックは、人間とマシンによるテクノロジーの意図的選択を通じた進化によってこそ、われらのガイアはこれからも恒常性を保てるのだと明確に述べている。 #ケヴィン・ケリー の代表作テクニウムでは、生命を自己生成する情報システムだと定義した上でテクノロジーもまた、自己生成可能な情報システムであり、生命が地球上で進化してきたように、テクニウムも「生物の第七界」として、同じ様に進化していくと論じている。 ケヴィンは、テクニウムの始まりを地球が人類を変える力を、人類が生態系を変える力が上回った約1万年前だとしている。本書でラヴロックはその時点を、トーマス・ニューコメンの蒸気機関を契機とした産業革命の始まりにおく。いずれにせよ、この時代は地質年代でいうアントロポセン(人新世)として定義されることがある。
でも今や、「テクニウムが人類を変える力が、人類がテクニウムを変える力を上回る」転換点をぼくらは迎えている。これをシンギュラリティ(技術的特異点)と呼んでもいいし、ポストアントロポセン、あるいはもちろん、本書でラヴロックが言うように、ノヴァセンの始まりだと呼んでもいいだろう。
カーツワイル や #ハラリ の描く未来が「強いシンギュラリティ」だとすれば、ラヴロックやケヴィンが描くポストアントロポセンは「弱いシンギュラリティ」だと定義できる。微生物と植物と動物が生物圏で共存する様に、超知能たる #サイボーグ もまた共存する。そしてガイアを守るという、これまで環境活動家たちが大いなる情熱と使命感をもって引き受けてきた役割を、何万倍もの速さで引き継いでいくのだ(それは喜ぶべきことではないだろうか)。 それでも、人間の役割は残されているとラヴロックはぼくらを慰める。地球上の植物がガイアの恒常性を維持するのに欠かせないように、人間も引き続き、ガイアにとっては欠かせない存在だ。そのときサイボーグ達にとって人間は、僕たちにとっての植物のような存在となるだろう。自然を愛し、動植物との共生を目指してきたぼくらにとって、それもまた、悪くないのかもしれない。
ブローディガンの詩
All Watched Over By Machines Of Loving Grace
I like to think (and
the sooner the better!)
of a cybernetic meadow
where mammals and computers
live together in mutually
programming harmony
like pure water
touching clear sky.
I like to think
(right now, please!)
of a cybernetic forest
filled with pines and electronics
where deer stroll peacefully
past computers
as if they were flowers
with spinning blossoms.
I like to think
(it has to be!)
of a cybernetic ecology
where we are free of our labors
and joined back to nature,
returned to our mammal
brothers and sisters,
and all watched over
by machines of loving grace.