擬 松岡正剛著 2017年11月25日
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風が吹いたからといって桶屋が儲かるとはかぎらない。
この巻頭に置かれたユーモラスな諺モドキが本書全体を象徴している。「こうなればそうなる、そうなればああなる」と理屈では考えられても、事業も人生もたいていそうは問屋が卸さない。合理的な予想を集めて未来がぴたりと分かるなら誰も苦労はしない。むしろ人や物事の組み合わせから予期せぬことが生じるのが常であろう。
ものの見方には大きく2つある。一方には自然科学を典型として世界を首尾一貫した合理的なものと捉える見方。世界のどこでも通じるグローバルスタンダードやグローバル人材といった発想も同じ方向である。他方には個別でちぐはぐで、合理性や普遍性の網では捉えられないものがあるという見方があって、芸術はその好例だ。
普遍と個物、必然と偶有、グローバルとローカルなど、さまざまに変奏されるこの2つの見方は、ともすると対立するように見られたりもする。とりわけ科学や技術を推進力とした近代化以後の世界では、普遍や合理に重きが置かれてきた。だがそれだけでは大事な忘れものをするのではないかと著者は言う。さりとて逆に個物や偶有性をよしとするだけでも詮無い。
そこで「擬」である。モドキとはなにかに似せてつくること。著者は古今東西の歴史、物語、生命、科学、古典芸能、哲学から縦横無尽に集め編んだアイデアをもとに、モドキとしての世のあり様を幾重にも浮かび上がらせて見せる。
自然の模倣から始まった芸術はもちろんのこと、調理やファッションや学問、あるいは言語だって真似から始まる。社会や家庭での人の役割もそれらしき振りをする事だし、普遍と合理の権化のような科学でさえも、例えば或る素粒子や物質が存在するかのように見立てるところから出発する。日常生活から教育、政治、経済、歴史まで、およそモドキと無縁のものはないかのようなのだ。
ならば人の世にいかなるモドキがあるかを見定めることが、ものを知り考え創るための鍵を握るはず。その要点を惜しみなく開陳する本書を読めば、闊達自在な語りと知の絵巻物を楽しみながら、凝り固まった頭をほぐしてもらえること請け合いである。これは効く。
《評》ゲーム作家 山本 貴光