リスク論のルーマン 1348夜 2010年02月22日
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ルーマンは、リスクを「危険」や「安全」に対比させるのではなく、社会システムにおける「決定」のプロセスに関するものと見たほうがいいと考えた。
二値コードをもって社会を裁断し、判定することそのことがリスクを生じさせていると見た。二値的な決定プロセスがあやしいのである。多くのリスクは“システミック・リスク”なのである。
社会というもの、つねに「規範」や「稀少性」や「競争点」を決めようとしてきた。それが市場に競争原理を生み、都市を賑やかにさせ、生活をさまざまな方向に導き、会社を成長戦略に向かわせ、景気や物価を上下させてきた。
社会システムはコミュニケーション行為で構成されているのではない。社会システム自体がオートポイエティックな動きをする。リスクの本体はこの構造の隙間やきしみから生まれるのである。どのように生まれるかとといえば、コンティンジェントに生まれる。
ルーマンは、オートポイエティックな社会システムには、リスクがコンティンジェントにかかわっていくと見た。
システムに出入りするものはすべて「情報」とみなしていい。この情報の多様な様相と動向のなかから、なんらかの「意味」たちをシステムは見いだしているはずである。
ルーマンはここを「意味を構成するシステム」がダブル・コンティンジェントにシステムを自己形成して、リスクを組み上げていくというふうに見た。
ルーマンは自己言及する個体こそが個体の独自性だということに、突如として気がついたのだ。個体が個体であるのはそこに自己言及があるからだということに気がついたのである。社会が社会であるのはそこに自己言及が前提されているからだということに気がついたのである。 #オートポイエーシス 自己準拠的システムというのは、システムが半ばつくりあげた“広がった自己”とでもいうものをシステムの中身とみなして、その変更登録をしつづけるシステムということである。
ルーマンは意味とコミュニケーションをオートポエティックシステムとしての社会システムの最も重要な要素とみなした。
システムが情報を区別し表示しているうちに意味が生まれてきたのです。情報と意味とはシステム状態の違いなんです。
社会システムが価値をまさぐるときには、相互作用・鏡像作用・相補作用が組み合わさって、ダブル・コンティンジェンシーをおこしている。(2重の偶有性)
コミュニケーションは相互に調整されたオプションであり、その意図やメッセージが相手に伝わるかどうか、どこにも保証はない。そのオプション構造をそれなりに明示しているものがメディアというものだ。
コミュニケーションはそこから派生した次のコミュニケーション・メディアによってしか説明できない。
人などの環境と社会のあいだに産出される境界が新たな社会的な「意味」をあらわす。それが意味境界です。
ルーマンの見る社会システムは行為ではなくてコミュニケーションによって成り立っている。
社会学が社会システムに言及するには、社会システムが自分自身を相手に自己言及している仕組みや気配やノイズに気がつかなければなりません。これがルーマンが最終的に決断した方法でした。
しかしとはいえ、システムの自己言及に注目すれば、これを記述する内容だって自己言及のループに入ってしまって、理論そのものの自己矛盾やハウリングをおこしかねません。
ルーマンはこのブレイクスルーのためにこそ「意味」というものを、常にシステムが自律的になろうとするたび毎のインターフェース上に出現させ、システムが自己再帰するたびに登場する意味の曖昧性や不確定性に注目して、そこに過剰や不安定や不確実性を入れてみることに気がついたのです。
ここには意味が発生すると、その意味がなんらかの席を占めようとするたびに、そこからはぐれていったり、そこに覆いかぶさってくるものがあることを示唆します。またしばらくすると、その席に入った意味とその席からはぐれた意味とが、新たなカップリングやネットワーキングをおこすだろうことが予想されます。あるいはちっとも意味が創発せずに空席だけになっていることも予想されます。