スノウ・クラッシュSFの役割 2022.01.07
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「スノウ・クラッシュ」はディストピア的表現への風刺でもある
小説家としての約40年のキャリアを通じて、ニール・スティーヴンスンは未来世界の複雑なヴィジョンを構築してきた。それはいま振り返ってみると不気味なほど先見の明があると感じられる。スティーヴンスンは、歯止めがきかないグローバル化、環境汚染、テクノロジー資本主義がわたしたちの地球を変える可能性について書いている。その過程で、暗号通貨、仮想現実、メタヴァースなどの概念を読者に紹介してきた。
ニール・スティーヴンスンといえば、『スノウ・クラッシュ』や『クリプトノミコン』、あるいは3部作『Baroque Cycle』などの作品でご存知の方も多いでしょう。ぼくの個人的なお気に入りは、長編エッセイ「太初にコマンド・ラインありき」です。21年11月に発売された彼の最新作『Termination Shock』は、気候変動の影響で世界がほぼ破滅してしまった近未来の話です。
ニールの作品の多くは、テクノロジーとそれを駆使する人間に対する批判に溢れている。特に、ある種のテクノロジストたちに人気のある人物に対してその傾向が強い。ニールはシリコンヴァレーの守護聖人のような存在だけど、彼の本の多くは、パロディとまではいかなくても、どれだけ懐疑的な筆致で書かれているかという事を人々は忘れているように思います。
確かに『スノウ・クラッシュ』は1992年か93年ごろの彼の最初の大作で、「 メタヴァース 」という言葉を生み出した。でもそれは、「いつか人々がこれをすごいアプリにして、大金を稼ぐだろう」というようなものではありませんでした。彼は、まさに今起きようとしていることに警鐘を鳴らしていたんです。だからとても面白かった。
彼は、他のSF作家への呼びかけとして書いた有名なその記事で、「SFはあまりにもディストピア的で、ポストアポカリプス(終末後の世界)風の重苦しいものになってしまった。わたしたちはSF黄金時代のルーツに立ち返り、気候変動のような、われわれが現在直面している人類の生存にかかわる問題に、大きな技術的・科学的解決策を提示すべきだ」と述べています。
多くの人が指摘しているように、この本の全体的なトーンは大まかに言えばディストピア的なのですが、本来はユーモアの要素をもったディストピア的な世界観を描こうと意図していました。ディストピアであると同時に、SFというジャンルでお決まりのテーマになったディストピア的な表現を風刺したものでもあるのです。だから、ここ数週間や数カ月の間に人々がメタヴァースについて盛んに議論するなか、それに懐疑的な人々は、現在いくつものハイテク企業が取り組んでいるメタヴァースについて、『スノウ・クラッシュ』のディストピア的な性質に何かの手がかりがある、あるいは何かを意味していると指摘する傾向があります。わたしはそのように理解しています。
『スノウ・クラッシュ』の中では、メタヴァース自体はディストピア的なものでもユートピア的なものでもないと思います。つまり、描かれている世界にただ存在しているものなんです。人々は作中で、自分が送っている陰鬱な、ディストピア的生活から抜け出すための手段として、頻繁にメタヴァースを利用しています。あなたが読みあげた文章のなかで、ヒロがしているのがまさにそれです。現実の彼は、空港の側のコンテナ倉庫に住んでいます。しかし、メタヴァースでは、彼はより充実した美しい体験をすることができます。ですから、この本で描かれているメタヴァースは、ある意味ニュートラルなものだと思います。ディストピアでもユートピアでもなく、人々がそれによってカタルシスを得るものなのです。
人類の生存がかかる問題に大きな技術的・科学的解決策を提示する・SFの役割
あなたの新著『Termination Shock』は、気候変動や地球温暖化を大きなテーマにしていて、作品中では人類にとってとても住める場所ではなくなった地球を冷却するために、ある億万長者がソーラー・ジオエンジニアリングを試みることを決め、大気中に硫黄を放出するという非常に大胆なプログラムを実行する様子を描いています。
あなたの言うディストピアとユートピアについて考えてみると、あなたの意図は、これから起こるだろうことや起こるべきこととしてそれを表現することなのでしょうか、それとも、ある程度ニュートラルな立場から描いているのでしょうか? 気候変動が実際に起きていて、誰かがそれに対して何かをしなければならないという作品のヴィジョンから、人々に感じ取ってほしいと望むのはどんなことでしょう。
この本の全体的なトーンは、最後まで読めばわかりますが、適度にバランスが取れています。本の冒頭で、あなたがいま説明したプログラムはすでに既成事実のようなものになっています。広く知られてはいないけれど、もうすぐ実行されようとしているのです。ですから、この本は全体として、世界中のさまざまな国のさまざまな境遇の人たちが、主人公の行動にどう反応するかということがテーマになっています。
ストーリーのなかで、人々はこの種のジオエンジニアリングへの賛否について、それなりにきちんと情報を得たうえで議論していきます。人々は知的で、良質の情報にアクセスできる人たちです。だからこそ、気候に対するこの種の人為的な介入によって起こりうる問題を予測し、それにどう対応すべきかを自分で判断することができるのです。わたしは、こうしたことを適度にバランスのとれた、現実的な方法で描いたつもりです。
ひとりの億万長者がそれを実行しようと決意するこの本のあらすじは、さまざまな理由からきわめて現実的なものだとはおそらく言えないと思いますが、ストーリーとしておもしろいものになりました。もしこうした介入が実際に行なわれるとしたら、それはどこかの国の政府が国益のために実行しようと判断した場合だと思います。
わたしは、この本の立場がニュートラルなものだとあなたに言ってほしかったわけではありません。あなたがこの本について語るだけで、気候変動は事実だと主張することにもなるのです。そう、これは懸念すべき問題なのです。そして、まだ人間が生存しているうちに気候変動に対処しようとする大規模な国際プログラムCOP26が開催されているまさにそのとき、わたしたちはこうして対談しています。現状が本当に問題だとは思っていない人や、気候危機に対して何かをすることが実現可能だとは思わない人、あるいはある程度の海岸線や人数が犠牲になっても構わないと思っている人もいます。この本では、それを所与の事実として受け止め、それが問題であり、深刻なことだと描いていますね。
ジオエンジニアリングは、気候危機に対する解決策やアプローチとしては論争の余地のあるものです。ですがあなたがそれをニュートラルだと語るのを聞いて、10年前にあなたが書いた記事を『WIRED』が掲載したことを思い出しました。あなたは、『WIRED』に記事を書いたことがあると同時に、『WIRED』に自分に関する記事が掲載されたこともある数少ない人物のひとりです。
あなたはその記事で、SFの黄金時代、具体的には1930年代や40年代、50年代には、SF作家はスケールの大きな技術的解決策を提示する、壮大なアイデアの書を著していた、いまそれが必要とされているのだ、と述べていましたよね。「もはや子どもじみた終末論を時代遅れの道具立てで語ることに執着するのではなく、SF、つまりサイエンス・フィクションの作家は自分たちの役割を果たし、新しい技術を開発して、それを巨大な規模で実現することの必要性を、説得力のある大きなヴィジョンで示すべきだ」と。今回の本は、そうした大きなヴィジョンを示すものでしょうか?
そうかもしれません。わたしたちが置かれている現在の状況は、自分は環境に配慮している、気候についての情報を得ていると思っている人々にも、充分に理解されていないところがあると思います。大気中の二酸化炭素(CO2)濃度は、現在400ppmをはるかに超えています。これは何百万年も前からの最高記録です。産業革命以前の200ppm程度からも上昇しています。つまり、大きな変化なのです。しかし、誰もが完全に理解しているかどうかはわかりませんが、たとえば新たなCO2の排出をゼロにするにしても、それは現実的には数十年先まで実現できないことであり、また、すでに大気中に存在するCO2の量を減らすことにはならないのです。CO2を自然のプロセスで産業革命以前のレベルに戻すには100万年ほどかかるとされています。
そのためには、膨大な規模でCO2を回収しなければならない。なんとしてもです。これこそが、わたしたちが本当に実行しなければならないスケールの大きな解決策です。気候危機の原因を取り除き、大気中に大量のCO2を放出してしまった人類の過ちを元に戻すという意味で、まさに解決策といえます。
現在からCO2の回収プログラムが実際に効果を発揮し始めるまでの間に、大気中に大量に存在するCO2が原因となって、地政学的に非常に悪い事が起こると思います。特定の地域で人間の生存に適さない程の高温多湿な気候になると、大規模な人命の危機が発生すると危惧されます。海面が大きく上昇して難民問題が発生し、その結果、飢餓や戦争、紛争が起こるでしょう。
ソーラー・ジオエンジニアリング計画は、ある種の止血帯とも言えます。救急治療室で重傷を負った手足に止血帯をする様なものです。止血帯をつけたままにしておきたくはありませんが、とりあえず人の命を救うためには必要な事かもしれません。
わたしが本書について書いた記事をめぐってお話を聞いたとき、あなたが言ったことのひとつに、特に左派の進歩的な人々の間では、技術的な解決策を導入することにためらいがある、ということがありました。そして、SFというジャンルには、それが完全に正しいかどうかはわからなくても、技術的な解決策によってものごとを決着させるという期待があるし、『Termination Shock』の場合にはそれがストーリーのきっかけになっています。
しかし、この作品での技術的解決方法は、その場しのぎの方策より悪いかもしれないという懸念があります。それはモラルハザード、倫理観の欠如の問題です。SF小説にそれを防ぐことを期待できるのかはわかりませんし、それは単にSFを面白くするものなのかもしれません。あなたに地球温暖化を解決してもらおうというのでありませんが、人類の生存がかかったこの問題に対処するために、フィクションの書き手やジャーナリストの役割はどういうものか、何かアドヴァイスがあれば教えていただけますか。
ジャーナリスティックな作品の場合はまずストーリーから始まりますが、重要なのはストーリーがどこへ向かうか、登場人物が何をするかということです。ですから、先ほど申し上げたように、『Termination Shock』は全体として、あるひとりの人物が地球の気候に介入することを決めたときに、人々がどう反応するかということがテーマになっていますね。
奇妙な言い方ですが、現実の世界で驚くのは、何もしようとしない人たちがいることです。気候変動については、それを問題だと思わない人や、何もせず時間を無駄にする人が多いのです。現在のパンデミックにしても、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)でもっとも衝撃的だったのは、政治的なことやその他の理由でこの病気を「問題ではない」「たいしたことではない」と言っている人たちの存在でした。それは驚くべきことだと思うのです。
ええ。トランプ大統領の誕生などさまざまなことを経験したあとでさえ、わたしはこの事態を予測できませんでした。第二次世界大戦で亡くなった米国人の2倍もの人の命を、それよりずっと短い期間で奪うようなパンデミックが発生するとは思いもよらなかったのです。そして、この国ではいまだにかなりの数の人々がこれを現実だとは思っていません。ですから、今回のパンデミックが始まったとき、こんなことになるとは思いもしませんでした。
しかし、人々の意見が極端に分かれ、フィルターバブルの中に閉じこもっていられる状況は、実際にCOVID-19で死にかけている人々が病院のベッドに横たわり、気管挿管されながらも、文字通り最期の言葉で「すべてはデマだ」と主張するケースが多く報告されているほどに進行しています。
このような状況を目の当たりにして、わたしは気候変動について考えました。気候変動は、周囲の人々を死に至らしめるパンデミックよりもはるかに抽象的で、科学的知識のある人々でも理解するのが難しい科学上の概念です。また、友人や隣人、大切な人が感染症に冒されたり亡くなったりするのに比べて、もたらされる結果はずっとあとになってから、とても抽象的なかたちで現れます。
多くの人が、人為的な要因で気候変動が起こっていることを確信し、CO2排出量を削減するために、高額な費用を要する実行困難な複雑な対策を支援したり、大規模なCO2回収施設を設置したりする可能性について、わたしたちはきわめて現実的に考えなければならない。つまり、悲観的にならざるを得ないのです。
視聴者の方から、これに関連した質問があります。残りの時間のなかでお答えしたいと思います。ロシアのアンドレからで、昨日「RE:WIRED」に出演したかつてのアップルのデザイナー、インダストリアルデザイナーのジョニー・アイヴが、スティーブ・ジョブズについて、変化を生み出すリーダーとして語っていました。会社を経営するうえで、特にテクノロジーの分野では、それは大事なことのひとつですが、アンドレの質問は、あなたは個人のリーダーシップの役割をどう考えていますか、というものです。先ほど話に出た、集団行動との対比で、特に重要だと思う特定の個人がいれば教えてください。。
わたしたちの社会では、億万長者がすべてを解決してくれるような、非常に奇妙な仕組みになってしまっています。50年前は、何か大きな取り組みが必要になれば、政府に期待するか、あるいは民間の産業が何とかしてくれると思っていました。それがいまでは、「何か大きなことが必要ならば、億万長者が代わりにやってくれるはずだ」という期待を多くの人が抱くようになっています。これは世界的に見ても新しいことであり、わたしたちが置かれている現実であるように思います。だからこそ、わたしは『Termination Shock』のベースとして、それをテーマに選んだのです。
しかし、あなたは自分の仕事や、あなたがこれまで行なってきたことを通じて、たとえ執筆活動をしていないときでも、何人かのそうした人々と出会ってきましたよね。彼らは、ほとんどが男性だと思います。具体的にどの億万長者のことについて語るべきかわかりませんが、あなたの評価では、彼らはその役割を果たせるのでしょうか? 10億ドル以上のお金を手に入れるために必要な人格とは、10億ドル以上のお金を手に入れていない人々を助ける行為をすることとは相容れないのではないかとわたしには思えます。あなたもそう思いますか?
有名な人たち以外にも、たくさんの億万長者がいます。100億ドル(約1兆円)規模の資産家のような人たちがいて、わたしたちは120億ドルなどという聞いたこともないような資産をもつ大富豪に注目しがちです。そうした大金をもっている人の多くは、自分たちのお金を有益な方法で使おうと努力していると思います。社会的に不適合な人ばかりではなく、他の人と同じように感情豊かな生活を送っているのです。だからこそ、よりよい世界を実現するために、そのお金を使いたいと思うのではないでしょうか。
『Termination Shock』の場合は、テキサス州に世間に名前を知られていない億万長者がいて、石油とガスと鉱業で得た富でガソリンスタンド・チェーンの経営にも成功しているという設定にしました。つまり、わたしは自分が描く架空の億万長者が、実在する億万長者の誰かを少しばかり設定を変えて描いたものではないことが明らかなようにいろいろと工夫したのです。そして、彼が大きなことを実行します。主人公の動機は、投資しているヒューストンの不動産が海面の上昇によって価値が下がっているという、ある種の経済的な根拠に基づいています。この計画を実行するコストは、不動産ポートフォリオの上昇と資産価値で補うことができると考えているのです。
オンタリオ州のデイヴからの質問です。これまで話してきた内容に関連するものですが、SF作家は未来を予測するのでしょうか、それともSFでものごとを描くことで、人々に思考のガイドラインや手がかり、あるいはやり方を示すのでしょうか。サイエンス・フィクションは、未来について新しい考え方をするためのプラットフォームを提示するものなのでしょうか、それとも、ある種の目安を設定することで、わたしたちに制限を課すようなものなのでしょうか。
あなたに話を聞いたとき、とても興味深いことを言っていて、それが印象に残っています。それは、フィクションが社会的な変化を刺激し誘発するような役割を担うべきかはわからない、ということです。わたしにもそれはわかりません。しかし、サイエンス・フィクションは、米国や世界がどのような未来を求めているのかを指し示す役割を担ってきたと思いますか? もしそうだったとしたら、いまでもそうでしょうか?
人々は何か目標を見つけて「よし、これをやろう」と決めることができます。しかし大勢のエンジニアや技術者が一丸となって何かをやろうとするのは、驚くほど難しいことです。企業のなかでは、すべてのエンジニアが同じことを効率的に行なえるようにするためだけに、パワーポイントを使ったプレゼンテーションに多くのエネルギーが費やされています。
私は、目指すことの最終的な結果が本などに説得力のあるかたちで書かれていれば、それを渡された人が「ああ、なるほど。私達がやろうとしていることがわかりました」と言うこともあると思います。これは、人々に協力して仕事をさせるプロセスを、逆に分散させるようなものです。
そうですね。ちょうどうまくまとめていただいたと思います。ニール、ありがとう。いいお話をうかがうことができました。本当に感謝しています。またあなたの新刊が出て嬉しいです。とても読み応えがありました。
スティーヴンスン こちらこそ、ありがとうございました。