シンボルエコノミー化する世界に翻弄される日本 2024.12.24
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水野氏の新刊『シンボルエコノミー 日本経済を侵食する幻想』によると、「リアルエコノミーの世界で、日本は逸早くゼロ金利に到達し、近代の次の社会を構築するチャンスを得たのですが、シンボルエコノミーの世界に巻き込まれ、翻弄されています」という。
ご存じのように、米国は世界第1位の経済大国です。そして、米国民はおおむね豊かさを享受しているように見受けられます。これが正しいか、他国と比較するために作成したのが図表1です。
まず、人口と生活水準の関係を見るために、横軸に各国の人口(2022年)を、縦軸に1人当たり実質GDP(2022年)を取ります。対象国は50カ国です。結果は、人口が少ないほど飛躍的に1人当たり実質GDP(生活水準)は高くなります。
多くの国の生活水準は、人口の大小で7割強説明できることになります(図表1の傾向線A、相関係数[r]が0.715)。さらに英仏独伊日本、そして中国が人口と生活水準との関係において、他国と比べて人口比で見ると倍以上豊かな生活をしていることが確認できます(図表1の傾向線B)。また、米国は傾向線Bでも説明がつかないほど超越した存在になっていることがわかります。
米国の人口は3.3億人ですが、1人当たりの実質所得は、図表1の傾向線Aで決まる所得水準の5.00倍にもなっています。ドイツ2.51倍、中国2.45倍、日本2.24倍、英国2.03倍、フランス2.02倍、イタリア1.76倍です。なぜ米国が他の国と比べて5倍もの豊かな生活が実現できているのでしょうか。
それは、米国が基軸通貨国であり、世界の情報とお金を蒐集する力が群を抜いているからです。英仏は18~19世紀の植民地支配の遺産を享受しているからだと考えることができます。日独は敗戦後、消費支出を抑制し(今楽しむことを我慢し)将来の生産力を高める将来財(迂回生産財)に資源を振り向けてきたからです。傾向線Bで表される国は、言わば帝国の特権及び我慢の成果を享受していると言えます。
図表1の対象国は50カ国です。IMFは先進国40カ国、途上国156カ国、計196カ国のデータを揃えています。そのうち、人口と1人当たり実質GDPのデータが揃うのは187カ国です。50カ国中、米国を除いた49カ国は人口が少ないほど豊かな暮らしをしていることになります。残りの約150カ国について、人口と豊かさの関係を調べてみましょう。
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人口の大小と生活水準の間に逆比例関係があるのは187カ国中60カ国と、およそ3分の1です(図表2の第1象限49カ国・第2象限11カ国)。人口が多いか少ないかに関係なく、貧しい国が129カ国もあります(図表2の第3・4象限)。第3象限にある79カ国に関して図表1と同じように散布図を描くと、決定係数(R2)は0.0009、第4象限の50カ国でもR2は0.0036となり、両者の間にまったく相関がないという結論になります。1人当たり実質GDPが1.3万ドル(2017年国際ドル)以下の国は教育水準が低かったり、貯蓄が不足していたりするなど、成長軌道に乗るための要件を欠いているからです。
とはいえ何事にも「例外」があります。人口と生活水準の関係で言えば、米国は図表1の傾向線Aからも、G7の傾向線であるBからも説明できないほどに生活水準が高いという点で、唯一の「例外」なのです。
そして、米国が「例外」的な存在であるのは、裏側に日本の「例外」が存在するからです。そして米国の「例外」はシンボルエコノミー化で起きていることで、日本の「例外」はリアルエコノミーの世界での事象です。21世紀は、リアルとシンボルが交錯する世界なのです。
米国の「例外」は、ストックベースで世界最大の純債務国でありながら、フローベースで測った所得収支基準では一転して、世界最大の黒字国となることです。米国はこの事実によって、カール・シュミットの言う、全世界の債権者になれるのです。この理論は、「私有財産は『神聖』である」という、近代社会の大前提から導き出されます。
いっぽう、日本の「例外」はゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレです。これによって、はじめて米国の「例外」が成立するのです。
日本やその他の先進国の過剰貯蓄がウォール街に持ち込まれ、米国はその資金を投資リターンの高い南米やヨーロッパに投資しています。米国は低利の米国債で貯蓄超過の国から資本を調達し、海外の高収益企業に投資して、その利鞘が世界一の所得収支黒字(2020年から日米合わせて世界一)を生んでいます。米国が世界の投資銀行であるというのは、資本が国境を自由に越えることによって、低コストの米国債(米国の債務)で外国から集めた、お金を高リターンの外国株式(米国の債権)に転換することができるということなのです。
つまり、米国の「例外」はシンボルエコノミー、日本の「例外」はリアルエコノミーでの事象です。目には見えない象徴、或いは記号からなるシンボルエコノミーの世界は、実体がありません。目に見えない世界を見えるようにしたのが株式市場で売買される「株価」であり、株価を押し上げるグローバリゼーションは象徴経済の本質を覆い隠すヴェールです。それは思惑と貪欲さが飛びかう市場ですから、株価に理論的な上限はありません。
いっぽう、リアルエコノミーは労働者と資本の共同作業でGDPを生み出す世界なので、働いている人や工場・店舗・オフィスビルは目に見えるし、触ることができます。この世界では、これらの資本を際限なく増やしていくことはできません。
「シンボルとは事物の死であると述べたのは、ジャック・ラカンだった」。テリー・イーグルトンは、1986年に著した『シェイクスピア』で、そう紹介しました。まさに、シンボルエコノミーはリアルエコノミーを殺して誕生したのです。1971年、リチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止しました(ニクソンショック)。シンボルエコノミーは、基軸通貨でありリアルエコノミーの神であったドルを金と切り離したことで生まれたのでした。
リアルエコノミーの世界で、日本は逸早くゼロ金利に到達し、近代の次の社会を構築するチャンスを得たのですが、シンボルエコノミーの世界に巻き込まれ、翻弄されています。残念ながら、このことに日本の政官財のリーダーたちは気づいていないようです。あるいは気づいているのだとしたら、それはあまりにも自分たちには手に負えない問題なので見て見ぬふりをしているのかもしれません。前例踏襲のほうが容易なので、政府・日銀そして新自由主義を信奉する主流派経済学者達は、20年以上にわたって2%の物価上昇と2%の実質GDP成長の実現に拘泥しています。
日本は近代の次に来るシステムを設計するという、数世紀の一度の大チャンスを失おうとしています。1990年代の土地・株式バブルの崩壊は、最後の金融機関への公的資金注入があった2003年に終わっていると考えることができます。ということは、バブル崩壊で失われたのはおよそ十数年です。大手金融機関への公的資金注入は、2003年が最後です。
従って、その後の二十数年間で失われているのはポスト近代を設計するチャンスです。一括りに「失われた30年」と表現すると、今起きている地殻変動を見落としてしまいます。バブル崩壊の1990年から2003年までに失ったのは、輝いていたように見えた「過去」ではありません。それも幻想だったのです。2004年以降、現在に至るまで失い続けている、或いは見ようとしないのは、近代の次に来る「未来」なのです。
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リアルエコノミーとシンボルエコノミーのどちらが「例外」で、どちらが「常態」なのか、21世紀が近代の延長線上にあると考えるのか、あるいは近代が終わってポスト近代の時代であると考えるのかによって、180度異なります。
近代の延長線上にあるとの前者の根底には、社会は常に膨張し進歩するという考え方があります。20世紀までの原則「成長とインフレがすべての怪我を治す」が20世紀末に変異して「資産インフレがすべての怪我を治す」に置き換わっただけです。こう考えれば、1980年以降21世紀の現在まで続いているシンボルエコノミー化は「常態」(図表3の★)、あるいは近代の亜流と言えます。
近代社会の行動原理「より遠く、より速く、より合理的に」に従って行動すれば、消費者は満足度を最大化、企業は利潤を極大化できました。このなかで「より速く」は株式市場で顕著です。投資家は「電子・金融空間」において高頻度取引(high-frequency trading)を駆使して利ザヤを得ようとしています。この空間は土地に縛られることはなく無限です。IT技術を駆使すれば、1秒をほぼ無限に切り刻むことができるからです。
いっぽう、近代の行動原理は終わったと考えれば、21世紀の日本のゼロ成長経済がポスト近代における「常態」(図表3の★★)となります。こう考えれば、シンボルエコノミー下におけるバブル生成と崩壊が頻発する「ショック・ドクトリン」は当然「例外」的現象であり、制御すべき対象となります。また、自由と平等は普遍的概念だと考えれば、ごく少数の人に富が集中するシンボルエコノミーの世界は「例外」となります。
シンボルエコノミーの世界が「常態」であると考えれば、「より遠く」の行動原理をより徹底することですから、現在は近代の延長にすぎません。フランス革命と産業革命の「二重革命」は「例外」だったことになります。20世紀の著しい高度成長と同様に、自由と平等は「あっけないエピソード」だった事になってしまいます。その結果、国民国家の時代からビリオネアが君臨する資本の帝国へと統治形態は変容していくことになるでしょう。
一方、シンボルエコノミーの世界が「例外」であると考えれば、自由と平等は普遍の原理であって、社会を分断させてきた、シンボルエコノミーの構造を解体する必要があります。即ち「よりゆっくり」な社会に転換させていかなければなりません。「より多くの」私的所有権を追求することを至上命題とする資本主義経を成り立たせている概念も見直す必要が出てきます。
現実には世界はシンボルエコノミー化しています。国民国家の主役である雇用者の実質賃金が趨勢的に下落していますから。日銀が「過度の物価下落」を懸念して事実上のゼロ金利政策に踏み切ってから30年近くが経過しています。2022年4月以降、消費者物価は日銀が目標としている前年同月比2.0%を超えて上昇し、2022年4月から2024年7月までは平均して前年同月比3.0%となりました。
この間、名目賃金は前年同月比で1.7%しか上昇していないので、物価変動を除いた実質賃金は同1.8%下落しています。とりわけ、2023年の実質賃金は前年比2.5%も下がり、1971年以降で、2014年の消費税率5%から8%への引き上げ時(前年比マイナス2.8%)に次ぐ大幅な下落となり、リーマンショック時(前年比マイナス2.3%)を上回りました。ロシア・ウクライナ戦争の物価への影響がいかに大きいかがわかります。
日銀はデフレ脱却を最優先し消費者物価が持続的に(少なくとも2年以上)年2.0%上昇し、その後再び2.0%以下に鈍化することがないと確信できるまで、マイナス金利政策を続けると表明しています。2022年の消費者物価(生鮮食品を除く総合)は前年比2.3%上昇し、2023年も3.1%と、目標値の2.0%を上回っています。2024年1~7月の前年同月比も平均して2.5%上昇となっているので、ほぼ3年連続で日銀の目標が達成されたことになります。
しかし日銀は、ロシア・ウクライナ戦争とイスラエルとハマスの戦闘が終わったあとにエネルギーと食料品価格が下落して、将来2.0%以下になる可能性があると判断しているようです。これが「異次元金融緩和」政策を変更することができない理由です。
根本的には実質賃金の下落で国民の生活水準が下がっているわけですから、インフレ抑制を優先してマイナス金利政策を解除するのは無理なのです。景気に対して抑制的に働き、一段と実質賃金の低下を招きかねないからです。外国為替(外為)市場もそれを見透かしており、円安が一段と食料品やエネルギー価格の値上がりに拍車をかけています。
その結果、エンゲル係数が上昇し、低所得者層を苦しめています。とりわけ、下位2割の低所得階層のエンゲル係数に、高騰が続く電気代の対消費支出を加えると、2024年1~3月期は1985年以降で最高に達します(図表4)。「異次元金融緩和」政策は解除しても、継続しても国民生活を苦しめることになっているのです。
食料と電気は生存のために不可欠な支出です。下位2割の低所得世帯では、生存に必要な食料費と電気代を合わせた支出額が消費支出の33.6%にも達しています。1985年以降でもっとも低かった2012年で27.4%だったので、6.2%ポイントも上昇しました(全世帯平均では5.5%ポイントアップ)。所得の低い世帯ほど選択的支出が制約され、生活が苦しくなっているのです。
エンゲル係数(電気代加算)が全世帯平均で5.5%ポイントも上昇したという事は、家計所得の購買力が事実上5.5%ポイント低下したことを意味しています。とりわけ低所得世帯では6.2%ポイントの低下になります。食料費は1日3食を2食にするわけにはいきませんし、電気代も急にエアコンの使用をやめるわけにはいきません。これらは、生存にかかわる生命維持費です。
2012年と比べて2024年1~9月平均の実質賃金は8.6%も低下しています。2013年から異次元金融緩和で円安が急速に進んだことで、ほとんど輸入に頼っている食料と原油価格が円建てで上昇したことが大きな原因です。