サイケデリクス医療のバブルは崩壊? 2022.12.14
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多くの可能性を秘めたサイケデリクス研究は、まだ芽を出したばかりの段階だ。だが新たに発表された論文によると、人々の熱狂やビジネスへの期待がいまや誤った情報によって過剰に膨らみ出している。この状況を正すべきなのは、当事者である科学者たちだ。
『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』誌にて論文を発表したその研究は、マジックマッシュルームの有効成分であるシロシビンをうつ病の治療に使用する可能性を探ったものだ。
現在カリフォルニア大学サンフランシスコ校でニューロスケイプ・サイケデリクス部門を率いるロビン・カーハート=ハリスの主導のもと、この研究はシロシビンと標準的な抗うつ剤を比較した。結果はいくらか期待外れなものだった──うつ症状の緩和において、そのサイケデリクス物質の効果は従来の治療薬よりわずかに優れているに過ぎなかったのだ。
遡ること2017年、同論文の著者のひとりであり、その実験の治験リーダーを務めたこともあるロザリンド・ワッツは、長年取り組んできたその研究への思い入れが高じ、シロシビンがもつうつ病治療の効果をテーマにTEDxで講演を行なった。そこではシロシビンが「精神医療に革命をもたらす」ことを確信していると語った。しかし、22年2月にMediumに投稿した記事では当初の奔放な熱意に対する後悔を示し、「サイケデリクスをめぐる短絡的で危険さえはらむ流れに、自分でも気づかないうちに加担していたような気がしてならない。いまわたしはその流れを正そうとしている」と述べている。
『これはすごいことなんだ』という融通の利かない考え方にとらわれてしまったことを反省しました」と現在の彼女は語る。
サイケデリクスにおけるルネサンス期の真っ只中とも言える昨今、長い間ただの娯楽用麻薬とみなされてきたシロシビン、LSD、MDMAなどの物質が、数々の精神症状に対する治療薬になりうるとして再評価されている。
同時に、サイケデリクス物質に対する規制や悪印象もここ数年で徐々に弱まり始めており、もはや完全になくなりそうな気配さえ漂う。「突然、この1年ほどの間に、振り子が真逆の方向に振れました」と、ジョンズ・ホプキンス大学医学部の助教授で、サイケデリクス物質の主観的効果について研究しているデイヴィッド・ヤーデンは言う。
米国医師会雑誌で発表した新しい意見記事のなかでヤーデンは、サイケデリクス専門家のローランド・グリフィスと精神医学専門家のジェームズ・ポターシュと共に、慎重に扱わない限りサイケデリクス研究は振り出しに戻りかねないと主張する──完全に違法とはされないまでも、かなり怪しいものとして見られるということだ。「水を差したいわけではありません。この盛り上がりには確かに理由があると思います。それでも、このメッセージを発信することはとても重要なのです」とヤーデンは言う。
これまでサイケデリクスは次のようなトレンドパターンを辿っている──何十年も法律で禁じられていたサイケデリクス物質が、近年には社会の隅の地下コミュニティから浮上し始め、精神疾患の画期的な治療薬になりうるとして実験現場で研究されるようになった。そして2018年、シロシビンはFDA(米食品医薬品局)からうつ病の「画期的治療薬」に指定され、医薬品としての最速承認ルートを獲得した。メディアはこれに飛びつき、スタートアップがいくつも立ち上がり、各社がサイケデリクス化合物に対して必死に特許申請をした。
しかし、当初は精神疾患治療における新たな希望の光として歓迎されたものが、いまや誤った情報を生み出す源泉になってしまっているとヤーデンは言う。サイケデリクスが精神病を「治し」、大規模な社会問題を解決し、「サイケデリック・ユートピア」を創造するなど、根拠のないものからあまりに突飛なものまで、さまざまな主張が出始めているのだ。わたしたちはいま、ヤーデンと彼の共同研究者たちが「サイケデリック熱狂バブル」と呼ぶもののなかにいる。そしてヤーデンらは、科学者こそがそのバブルを崩壊させるべきだと主張する。
ワッツは患者と接するうちに、薬物そのものがカギではないのかもしれないと考えるようになった。真に重要なのは、治療体験、つまりサイケデリック支援療法における「支援」の部分なのだと彼女は言う。それは、サイケデリクス薬を服用したあと数時間、優しく安心できる雰囲気のなか、深く埋もれた感情やトラウマをガイド役と一緒に解きほぐす空間である。サイケデリクスの効果はこの空間をつくり出すのに役立つのだ。
「脳をリセットする」ことの素晴らしさを手放しに称える文脈のなかに欠けているのは、実際にそれを行なったときの「本能を揺さぶる、時に地獄のような経験」だとワッツは言う。
また、研究現場を守ろうとするあまり、一部の犯罪行為が隠蔽され野放しにされている事実もあるようだ。ここ数年、サイケデリック治療中に性的暴行が発生した事例が明るみに出ている。22年、『ニューヨーク・マガジン』はサイケデリクス分野の監視を行なう非営利団体Psymposiaと共同で、サイケデリック臨床試験の現場で起こっている性的暴行について「カバーストーリー:パワートリップ」というポッドキャスト番組内で調査した。特に注目を集めたのはミーガン・ビュイソンの事例だ。15年に彼女は、サイケデリクス研究を行なう非営利団体であるサイケデリック学際研究所(Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies)が主催した臨床試験のうち、心的外傷後ストレス障害の治療薬としてMDMAを使用する試験に参加し、その試験中に性的暴行を受けた。
サイケデリクス物質を摂取すると暗示にかかりやすくなり性的な感情が高まることが知られており、それゆえある面で精神の防衛力が弱くなる。つまり、サイケデリクスの研究および治療の現場で性的暴行が発生するリスクへの対処は、この研究を取り巻く熱狂がもたらすリスクへの対処と同程度に優先されるべきだと、シンシナティ大学センシング研究所の博士研究員でPsymposiaの調査チームにも所属するネシェ・デヴォネトは言う。
「かねてから、現場で研究を行なう科学者の一部はリスクについて発言する人々を軽視し、無視し、さらには排斥さえしてきました」と彼女は語る。サイケデリック研究者も性的暴行のリスクについてあまり発言していないが、もっと声を上げる必要があるとデヴォネトは言う。
こうした背景もあることから、基本的にサイケデリクスは安全だとはいえ、リスクが完全にゼロではないことを忘れてはならない。稀にではあるが、サイケデリクスが精神病の引き金になることもある。問題は、サイケデリック治療中に有害事象が起きて注目を集めるかどうかではなく、いつそれが起こるかだとヤーデンは言う。「それに備えた対策をすることも重要だと思います」
もし、ヤーデンと彼の共同研究者たちが予測するようにサイケデリック熱狂バブルが崩壊すれば、その後には反動があるはずだ。訳知り顔な批判の声が上がる一方で、マイナスの余波ももたらされるだろう。そのとき最も苦しむ立場にあるのは、深刻な精神疾患を抱え、サイケデリクスが治療の最後の砦になりうる人々である。いまそういった人たちが過剰な期待を抱いているなら、この先サイケデリクス物質の効果をより現実的に評価する厳密な研究が出てきたときにはがっかりするだろう、とヤーデンは言う。「騙された、そんなふうに感じるでしょう」
バブル崩壊の瞬間が実際に訪れたときには、それによってサイケデリクス研究を取り巻く状況が再び落ち着き、世間や企業の関心が薄れ、刺激的ではない──しかし欠かすことのできない──厳密な研究のための時間が増えることをヤーデンらは期待している。「研究の勢いをくじこうというわけではありません。持続可能かつ責任あるやり方で、長期的な視野をもってやっていこうということです」とヤーデンは言う。
日本で禁止されている幻覚剤=サイケデリクスが、実は海外では精神疾患の治療法としてルネサンスを迎えている。神秘体験によって自我が突き崩され精神が解放されていく旅路の果てに人々はどんな“救い”を得るのか。タブー視されてきた意識の変性に体当たりで挑んだ『幻覚剤は役に立つのか』を上梓し、越境への欲望をテーマとする『WIRED』日本版最新号に登場したマイケル・ポーランが、その歴史と科学研究の変遷をつづる。
「幻覚剤に再び医師の関心が集まっている」との見出しがついた記事は、ニューヨーク大学(NYU)をはじめいくつかの大学で行なわれている臨床試験に言及していた。試験では、患者の不安や「実存的苦悩」の緩和を目的として、シロシビン──いわゆるマジックマッシュルームの活性成分──ががん患者に投与された。研究者のひとりは次のように話している。
幻覚剤が作用すると、「精神の肉体への帰属意識を超越し、患者は自我のない状態を体験します。[……]目を覚ましたときには、新しい考え方と深い受容の心を手に入れています」。幻覚を生じさせる薬物を使ったことはなかったが、記事を読んだパトリックはすぐに参加したいと思った。リサは反対した。「安易な逃げ道を見つけてほしくなかったんです」と、最近になって彼女は語った。「闘ってほしいと思っていました」
だがパトリックは応募を決めた。いくつかの書類を作成して数多くの質問に回答し、臨床試験への参加が認められた。幻覚剤は潜在的な精神疾患を表面化させる可能性があるので、研究者はリスクの高い志願者を外すために、薬物使用のほか、統合失調症や双極性障害の家族歴の有無を調べる。
スクリーニング検査を終えたパトリックのガイドは、アンソニー・ボシスという名のセラピストだった。あごひげを生やしたクマのような容貌のボシスは50代半ばの心理学者で、専門は緩和ケア。NYUの臨床試験の主任研究者のひとりだ。
4度のミーティングを重ね、2回のセッションの予定が組まれた──1回は活性プラセボ(このケースで使用されたのは高用量のナイアシン。副作用としてチクチク感を生じさせる可能性がある)、もう1回はシロシビンを含む錠剤が投与される。
2度の臨床セッションは、心地よいソファーが置かれ、壁には風景画、本棚にはアートや神話の書籍が並び、仏像や陶器でできたキノコなど、先住民やスピリチュアルな小物で飾られた、病院というより家のリヴィングのようなあつらえの部屋で行なわれた。いずれのセッションもほぼ1日がかりで、パトリックはアイマスクをしてソファーに横になった。
ヘッドフォンからは慎重に選ばれたプレイリスト──ブライアン・イーノ、フィリップ・グラス、パット・メセニー、ラヴィ・シャンカル──が流れる。何かトラブルが起こったときのために、ボシスともうひとりのセラピストが常に付き添うが、ほとんど言葉を発することはない。
わたしは2014年NYUの治療室で、ボシスと彼の同僚でNYU医学部精神医学准教授のスティーブン・ロスに会った。ロスはいまもシロシビンの臨床試験を指揮している。現在40代で、スーツに身を固め、銀行マンと言っても通用しそうに見えた。