あなたにはせかいがやさしく在るように豆腐のかどもわたしが潰す
「あなた」はそれほどに大切なのですね。「豆腐のかど」に頭をぶつけたってなにも起きないだろうけど、まんがいちの危険も許容できない。そこに主体の抱えるアンバランスさと面白さがあります。
「豆腐のかどもわたしが潰」したくなるほどに、主体にとっての「せかい」は「やさしく」なくて油断ならないのでしょう。やさしくない世界をしたたかに生き抜く代わりに、あなたを守ろうとしています。「潰す」という語からは愛着や依存が滲みでていて、隙間なく徹底された愛情のようにも、失うことを恐れているようにも受け取れます。同時に、「豆腐のかど」と間の抜けた語が対比されることで、異常性を自覚する作者のユーモアを感じます。
「あなた」が誰かはわかりません。子供でしょうか。この作品には主体の狂気を静かに誇る印象があります。子供に対する親の態度にはさまざまな他者の目が入り込みます。子供のために豆腐のかどを潰すとなれば、いちどそれらを退けるか、後ろめたさを抱えるかしてしまいそうです。はたまた底抜けに善いものとして描かれそうです。それでは、かなわぬ相手への秘めた想いなのでしょうか。主体は「やさしく」ない「せかい」のやり場を「あなた」に向けていることに、なにか報いを求めているようにも見えます。長期的な関係を望んでいるのかもしれません。
そんなふうに読んでいくと、「あなた」は恋人やパートナーのように感じてきました。このひとに対するわたしは狂っていてもいい、そうした甘えが許容される関係の相手。「わたしがあなたを守ってあげるから、どこにもいかないでね」という、狂気と茶目っ気の釣り合いが心地よく、「茶化しているけど、かなりマジだろ」と作者にいってやりたくなりました。