深海で生きるあなたに伝えたい瑠璃色でないひかりのことを
「あなた」は「深海」にながくとどめおかれていて、「ひかり」はすべて「瑠璃色」だとみなしているのですね。しかし、字義から読みとれるよりもおおくのことが「あなた」と主体とのあいだには起きているように読めてなりません。
深海にいるあなたは「生きる」という語であらわされています。ここには絶妙なニュアンスが受け取れます。「あなた」は深海にいるのでも、暮らすでも、眠るのでもない。深海に「生きる」。固着している。瑠璃色のひかりで満ちる深海は、仮の住処なんかではない。主体の静かな諦念と、「あなた」に向けられた眼差しがもつ時の重みが感じられます。
重ねて、「伝えたい」という語からは、主体の配慮や慎重さ、さらには「あなた」との関係における不満足や無力感すら感じます。できることならば主体は「あなた」を「深海」から浅瀬につれてゆきたい。それが叶わないからせめて、いやそれどころか、伝えることすらも主体にとってはむずかしく、だからこそ「伝えたい」と願うにとどまるのでしょう。
この作品の題詞である「瑠璃色」は美しさだけでなく、その色の深さから寂しさも感じます。この作品もひとつひとつの語は美しく流れながら、それでいて水面下にはなにか不穏なものがあるのではないか。そんなふうに想像が湧いてしまいます。ちょっと作者の意図を超えて深読みしすぎているかも、とも思いましたが、つい深読みしたくなる神秘さもこの作品の大きな魅力なので、あえて直観のとおり読んでみました。ミステリアス!