文芸がゲーミフィケーションされる
妻が日々せっせと短歌をつくってはうたの日に投稿しています。わたしも2度ほどやってみました。しかしすぐにやめてしましました。つまらなかったからではありません。むしろハマりつつある自分が強烈に感じられて、生活への影響がおそろしくなってやめてしまいました。
うたの日は見事に設計されています。1日に1度だけ投稿できる、部屋ごとに多数決で秀歌が選ばれる、日を追うと昇級できる。 SNS やソシャゲの力学が文芸に持ち込まれたことで、ひとびとをつよく惹きつけています。みじかい文字列で作られる和歌とも相性が良いのでしょう。わたしもうたの日をきっかけに「短歌って古文でしょ?」というところからいくつか本を読みました。
こうした世界にながくいると、あたかも和歌の価値が計量可能なように感じられることもあるかもしれません。わたしたちはあらゆる事象を計量し最適化しようとするコンピュータ社会に生きています。和歌はあまりにも自分自身の価値観や世界観を写とっているので、その価値を「3」や「14」や「42」だと割り切るのは難しいだろうなと思います。