2026年6月28日のメモ
#雑談 #2026-06
Twitter垢新調して、自我の自殺を遂行してからいろいろ考えている
アタシは「Twitterで自我出してない人マジかっけぇッス!」てノリだから、ふりふぁんの自我の自殺(自我そのものはここに存在してるから自我を隠したって感じか?)の理由の70%ぐらいは、この自我出してない人への憧れだった
だってカッコいいよ。自我出してない人。職人みたいで
でもこの「自我を出さない」って、アーティストとして正しい選択なのか、考えるんですわ。
まだアーティスト名乗れるほど活動出来ていないので烏滸がましすぎる上に説得力は皆無だけど、あくまでここはメモなので、そういうのは気にせず書く
生成AI作品が跋扈しているこのご時世、今までの風潮から特に変化がなければ、これからはクリエイターそのものに価値が生まれ始めると思ってる
だからこそ、自我を殺すというのは、生成AIには無い「クリエイター自身」という武器を自ら手放す選択なのでは、と
仮にこれから俺が寡黙な曲作りまくりマンになるとして、「ただ作品を生み続ける何か」は生成AIと何が違うのだろうか
自我を出した方がバズれるとか有名になれるとか、そういうのは置いといて、在り方として正しいのか
ちょうど今Twitterでやってんね、アーティストのバックグラウンドが作品に関係するのかみたいな、これに少し通づる話でもある
俺はかなりバックグラウンドとかどうでもいい派の人間なので、仮に俺の好きなアーティストとか過去の偉大なアーティストとかを全否定されたとしても、「でも別にこいつの曲はカッコいいしな…」だけで終わると思うし、作品から生き様とかを感じてもそれは結果論だと思うし、男でも可愛かったら全然抜ける
だってさ、自分の好きなアーティストがやらかした時に、そいつの素晴らしい作品に拒否反応出ちゃうなんてもったいなくね?
こういうのは人の意思が実体を伴いにくいボカロ文化とかに近いところで生きているとなりやすいのかもしれない
まぁそれはそれとして、twitter見てると意外と自分と反対の意見に共感ができるところはあった
美術こそコンテクストを読む文化だとか、そういう意見を多く見れてかなり納得した
自分はアートを知らないから意識したことが無かったけど、そういえば反骨精神とかから生まれた文化はあるよなぁ
@yukio_mishima25
芸術とは技術ではない。人間が自らの生を賭けた痕跡である。作品だけを見ろというのは、芸術を工芸品へと堕落させる思想だ。
これカッコいい。堕落だとは微塵も思わないけど、すごく腑に落ちる表現だ。
この「情報を重視する考え方」は間違っていないはず。こういうスタイルを結果的に司ってるのはそれぞれのアーティスト側だと思ってるから。アーティストの数だけ正解があると思う。
少なくとも俺は、作品の外の情報が作品を人から遠ざけるきっかけになるぐらいなら、それを捨てる選択をする
これが自我の自殺をした理由の30%ぐらいね
俺も別にバックグラウンドを楽しまないわけでは無い。バックグラウンドを知ることによって得られる感動とかもあった気がするし絶対あるものだと思う。
でもあくまでそれは別の評価軸であって、音楽に焦点が向いたときには鳴っている音とか書かれてる歌詞とかだけを性質的に見ることになるはず
国語のテストみたいに、問題用紙に書かれた内容だけで問題を解く、みたいな、ただそれだけの話だと思うんだけどねこの話題
問題は、その問題用紙に書かれた内容ってのをどこまでの範囲にするかってことだな…
やっぱり音楽って何かとめんどくせぇな。文化形態といい、それを取り巻く思想といい、やたらと好き嫌いの判断基準の閾値広いし…