《Past archives》セレクション展@なかお画廊_2022 “Statement paper”
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《斜めにみえる、透けてみえる》
ORIGAMI -Reasons for Embodiment- ”Out of the mouth comes evil, but hold of the mouth comes sickness.” / h11 w22(cm) / Statement text, A4 paper / 2022
森 英顕(MORI Hideaki)
展示・作品について(ステートメント)
私は彫刻家ですが、今回は平面の作品にチャレンジしました。といっても、彫刻表現的な平面作品として生み出したものだと考えています。
森の作品ですが、1Fは彫刻作品(木彫/陶彫)、2Fは主に平面作品(ミクスドメディア/版画/ドローイング)を展示しています。
本展へのスタンスを、キーワードにしました。
(もしも、詳しく知りたい方がいらっしゃれば、ご質問いただけるとうれしいです。)
1.インサイドアウト(1F)
2.アウトサイドイン(2F)
3.ミメーシス(感染的模倣)先達との向き合い方
4.影響下での反転化(陰陽の視座)
5.画像生成AIと、作家の美意識から生まれるもの
6.天の邪鬼(devil's advocate)の役割としての場の表現
主観ですが、アートの歴史は"天の邪鬼"から生まれてきたものと考えています。
(天の邪鬼:模倣の態度ではなく、クリティカルな態度で《もの》と《こと》の対義語を調べるような感覚)
…
1.インサイドアウト
芸術表現を自分の内発性を起点として、アウトプット(作品化)することです。アーティストのスタンダードなスタンスと言えます。自己表現を確立し、作品として存立することで、他者の鑑賞へと結び付けるアプローチです。
2.アウトサイドイン
ある環境下をインプットすることで、帰納的に自分の自発性を発露させ、その仮説を作品化するアプローチです。サイトスペシフィックな要素を表現と結び付けることで、新たな課題を露わにします。
2Fでの展示は、私が認識せざるを得なかった1Fの作品世界がアウトサイドの対象です。例えば、モノクロ、研鑽、静謐、技術、無骨、一貫性、ハイキャリアといったものです。
3.ミメーシス(感染的模倣)先達との向き合い方
リスペクトを得たアーティストに対して、支配下に置かれることはなくとも、全く影響を感じない、ということは、私にとってあり得ません。一方で模倣やその領域での純粋な追従は、私のアートとしては成立せず、また望むことではありません。
強度を持った作品と向き合うことは、その影響下においてどのような姿勢が自分にとって率直であるかを思考させます。それは私が生きる上で重要な価値そのものなのです。
4.影響下での反転化(陰陽の視座)
私は何らかの対象を思考する際に語源を探ります。特に対義語は理解を深める重要な鍵です。自分が肯定せざる対象であれば尚更です。少なくとも盲目を自覚させるトリガーでもあります。
良しとするものであるからこそ、180度の視座から見える景色とは何か、を問う態度こそが真摯であると考えているからです。物事の側面だけではなく両面、陰と陽の要素を可視化する姿勢を持って俯瞰する感じでしょうか。
5.画像生成AIと、作家の美意識から生まれるもの
今回の平面作品には、今年に入って盛んになってきた画像生成AIの技術を素材の一部とした作品があります。
将来、AI技術は絵を描くオペレーションの役割を人間から奪うかもしれません。一方で、AIそのものに表現の志向性はありません。そして美意識の感受性も持ち合わせていません。
AIが作品化のアウトソーシングを担うとして、手作業を失ったアーティストは、美意識に基づくこと以外に何ができるのでしょうか。触覚のようなモノに触れることのないAIでは、効率的な演算要素への準拠として、世界を構築するマテリアル(物質)の魅力はデータ処理の対象から外されるかもしれません。
一方で、人間がマテリアルの魅力を捨て去ることでAIと整合化する、そのようなDX化は私の望む世界ではありません。
6.天の邪鬼(devil's advocate)の役割としての場の表現
【デビルズ・アドボケイト/悪魔の代弁者】とは、議論を深めるために相手の主張と反する意見をあえてぶつける役割のことです。その意義は、“同質性の罠”への警鐘です。同質性は異分子に対する受容性の低さを覆い隠すものだからです。
本展示では、敢えて1Fと2Fを対比空間とすることで、作品のコントラストを高めるアプローチをしています。世代や嗜好の分断として割り切らず、場の空気感を異なるものとすることで間口を広げ、多様な価値観を受け入れる姿を表しています。
例えば、自宅にアート作品がある暮らしを想像できる生活水準を持った20~30代は、貧困化の進む日本にどの程度いるのでしょうか。ワンルームに大きな絵画、展示台に乗った彫刻などは、現実的な生活空間なのでしょうか。
アーティストを目指しているとして、秀逸な作品の持つ卓越したテクニックと、重厚な表現を目の当たりにし、それらをポジティブに受け入れること、それを、“未熟なあなた”は素直に受け入れられますか。
高いハードルは、あなたの自由な気持ちに対して“いつでも”背中を押してくれるポジティブな要素なのでしょうか。ハイキャリアな作家であっても未熟な時期を経て今があるのです。その他者の未熟さを目にするとき、「自分にも可能である。」そのような感情に目を向けることが、アートを分かり合える、そんなきっかけを生むかもしれません。
セレクション展
秀島 由已男 木下 晋 森 英顕
2022年10月17日(月)-10月30日(日)
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Selection Exhibition "Yukio Hideshima, Susumu Kinoshita, Hideaki Mori" | Nakao Gallery / Kumamoto | 2022
https://nakaogallery.com/blog/20221017.html
Written by MORI Hideaki
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