私とは何か「個人」から「分人」へ
個人という単位に基づく思想を「個人主義」と呼ぶように、分人を単位とする思想は、「 分人主義」と名づけられるだろう。 分人はすべて、「本当の自分」である。
私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体がないにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中 嗾 されている。
結局、教育現場で「個性の尊重」が叫ばれるのは、 将来的に、個性と職業とを結びつけなさい という意味である。
職業の多様性は、元々は、社会の必要に応じて生じたもので、色々な個性の人間がいるから、それを生かせるように多様な職業が作られた、というわけではない。
こうした主題をいち早く文学の題材としたのは、『他人の顔』や『箱男』を書いた安部公房である。そして、それらの作品の中でも、性の問題は重要な位置を占めている。 嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観!
https://m.media-amazon.com/images/I/41SXmAYC01L.jpg
現代人は「本当の自分とは何か」という考え方に追い詰められているのではないか―。小説家・平野啓一郎さんの著書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)を読んだ後藤は、「救われたような気持ちになれた」と感想を述べる。「本当の私」という考え方にとらわれた私たちに大きな気づきを与えてくれる同著の魅力を紹介します。