海辺のカフカ
途中は手が止まらなかったのだけど、読み方がわかってない。
一般的な読み方の正解ということではなくて、自分の中に楽しみ方を持ちたい。
「乗り越えるもなにも、僕がやるべきことはたったひとつしかない。この僕の肉体という、なににも増して欠陥だらけの入れものの中で、なんとか日々を生きのびていくことだけだよ。単純といえば単純だし、むずかしいといえばむずかしい課題だ。いずれにせよ、うまくそれができたからって、偉大な達成と見なされるわけでもない。誰かが立ちあがって温かく拍手してくれるわけでもない」
「べつに死のうとしているわけじゃないのよ。本当のところ。私はここで、死がやってくるのをただ待っているだけ。駅のベンチに座って列車を待っているみたいに」
幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ。トルストイが指摘しているとおりにね。幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。 ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力を欠いた部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっているいる人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。 「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真……。
四国の図書館に着いたカフカ少年が出会ったのは、30年前のヒットソング、夏の海辺の少年の絵、15歳の美しい少女――。一方、猫と交流ができる老人ナカタさんも、ホシノ青年に助けられながら旅を続ける。〈入り口の石〉を見つけだし、世界と世界が結びあわされるはずの場所を探すために。謎のキーワードが二人を導く闇の世界に出口はあるのか? 海外でも高い評価を受ける傑作長篇小説。 https://gyazo.com/0e68aec440a5b10fe2595d59a1e1dfca
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