人生の短さについて 他2篇
わたしはいつも驚いて見ているのだが、だれかが時間をくださいとお願いすると、求められたほうは、いとも簡単に与えてしまう。どちらも、時間が求められた理由は気にするくせに、どっちどっちどっちそのもののことは気にしない。時間はどうでもいいもののように求められ、どうでもいいもののように与えられる。あらゆるものの中で最も高価なものを、もてあそんでいるのだ。彼らがそんな間違いを犯すのは、時間が形を持たず、目に見えないからだ。だから、時間はとても安く見積もられている。いな、それどころか、ほぼ無価値なものとされているのだ。 すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きていけるといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、すべての時代を付け加えることができるからだ。彼が生まれる以前に過ぎ去っていったあらゆる年月が、彼の年月に付け加えられるのである。われわれがひどい恩知らずでないというなら、こう考えるべきだ―人々に尊敬される諸学派を作り上げた高名な建設者たちは、われわれのために生まれてくれた。そして、われわれのために、生き方のお手本を用意してくれたのだと。
自然は、われわれに、すべての時代と交流することを許してくれる。ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。 https://gyazo.com/97e75c9098adafca7cebfc222c6aba98