人間は大量のセンサーを積んだ観測器である
人間の理解は身体感覚に引きずられることが多い
これは人間は大量のセンサーを積んだ観測器であると本能的に分かっているからだと思う
完璧に思える理論に違和感があるとか
いい人そうに見えるけど、話していることは嘘だと直感でわかるとか
そういうことは言語化できていないがセンサーが感知しているものがあるということだと思う
センサーは目的があってつくられるが、人間はもともと備わっているため何のためにあるセンサーなのかわからず計測できても意味がわからないことがあると考えていいと思う
既に必要がないセンサーも積まれているのかもしれない
なので、理解するということには身体感覚が伴う必要があると思った方がいい
まだまだ足りないがスマホは人間を拡張できるものとしてかなり優秀になってきていると思っていい