イザヤ書と日本
心が肥鈍り、耳が遠く、目が堅く閉ざされた現代日本人
時期が来るまで真実を見ないようにしている?
三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」
三猿と庚申塔の関係
庚申信仰
庚申の日に三尸という虫が人間の体から抜け出し、宿主の罪を閻魔に伝え、宿主の寿命を縮める
罪を持っている人は寿命が縮まる 罪は死を引き起こす
自分の罪を、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で悟ろうとした人だけが神を知る(解脱する) イザヤ書第六章ー、
「わたしは高く上げられた王座に座しておられる神を見た。
その裾は神殿に満ち、ケルビムがその上に立っていた。
彼らは六つの翼があり・・」
このとき神は、こういわれた。
「だれを使わそう。だれが我々のために行くだろう」
この言葉に対し、イザヤは直ちに答えた。
「ここに私がいます。私を遣わしてください」
主語と述語はあるが、目的も意味も分からない問答である。 神はこの後、つぎのように述べる。
「行ってこの民に言えー。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』 この民の心を肥鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために」
何の意味か、さっぱり分からない。しかしこれを、現在の日本に当てはめるとピッタリ合うのだがー。