個人的なことは政治的なこと(The personal is political)
(こじんてきなことはせいじてきなこと、英語: The personal is political)は、1960年代以降のアメリカにおける学生運動および第二波フェミニズム運動におけるスローガンで、個人的な経験とそれより大きな社会および政治構造との関係を明らかにしようとする言葉である。1960年代から70年代のフェミニズム運動という文脈においては、この言葉は核家族や家族の価値への異議でもあった。フェミニズムの第2波やラディカル・フェミニズム、女性学、あるいはフェミニズム一般を特徴付けるものとして繰り返し語られてきた言葉でもある。それは1960年代、70年代のフェミニズム運動と、女性の投票権獲得を目指した運動と位置づけられている1920年代の初期フェミニズムとを区別することでもあった。
このフレーズが広く知られるようになったのは、1969年に書かれたキャロル・ハニッシュのエッセイ「The Personal is Political」がその翌年に出版されて以降のことだが、ハニッシュによれば彼女はこの言葉の作者ではない。ケリー・バーチによれば、シュラミス・ファイアストーンやロビン・モーガンなど、この言葉の作者と目されたフェミニストたちはいずれもその事実を否定している。「そのかわり、彼女たちがこの言葉の集合的な作者として挙げるのは、私的・公的な会話の中でこの言葉を用いてきた無数の女性たちである」とバーチは述べている。またグロリア・スタイネムは、この言葉の作者を探すことを「第二次世界大戦」という言葉の作者を探すことに例えている(とはいえ、「第二次世界大戦」という言葉は少なくとも1939年9月に発行されたタイム誌の論説にまで遡ることができるのだが)。
個人的なことは政治的なこと - Wikipedia
「こうした問題群において我々が最初に発見したことの一つは、個人的な問題は政治的な問題だということである。そこでは個人的な解決というものは存在しない。集団的な解決に向けた集団的な行動があるのみである」
このスローガンは女性の個人的な経験と男性中心社会が地続きであることを示してこそいるのだが、その本質が何であって、そこからいかなる政治的行動を目指すべきかについてフェミニストは非常に多様な解釈を行ってきた
批判
リベラル・フェミニストは、このフレーズは必要とされる政治的境界線を侵してしまうため危険だと主張している。これは、政治の公的側面の重要性を奪うことになるからである。さらにハンナ・アーレントは、政治的境界線が侵食される過程で、政治の公共空間においては、個人がもはや「行動する」のではなく、単に経済的な生産者や消費者として行動するだけの疑似的な相互作用の空間に変えられてしまうと批判している。(中略) 例えば、アフリカの文化においては「個人は政治的である」という語りはあまり意味を持たないことが示されている。黒人女性は、家庭が人種差別に対する強さの源であるため、家庭を抑圧の源と見なす可能性が低いからである