文章を書くとき、UIや記法が文章の内容に影響を与える
スクボの箇条書きについて
Scrapboxのおかげで文章を書き溜める習慣がない自分でも毎日のように自分の考えなどを書くのが当たり前になった
これは本当にすごいことだ。
が、Scrapboxの記法やUIが自分の表現力を制限したり文章の質を低下させたりすることもあるかも
Scrapboxは執筆には向かないという意見もnishioさんが唱えており、その意見にかなり同意する
Nota社の公式の説明でも「scrapboxで共同編集をしたことがない人はあまり気づかないかもしれないがscrapboxは複数人で使うときに真価を発揮する」的なことが言われていたので執筆に向いていないというのはスクボの制作者もそう思っているかもしれない
自分はidobataなどを定期的に見ていたりはするがアクティブに書き込んだりはしておらずスクボを共同で使ったことがほぼ全くないので共同編集で使うととても使いやすいとうことに意外と気づいていなかった
同時編集可能なこととか非同期的なコミュニケーションを可能にすることとか
今までScrapboxの箇条書きの記法が文章を書くうえで一番最適だと思いこんでいた
もちろん「文章を書く」という行為にもいろんな種類がある
上で挙げたように他者とコミュニケーションをするために文章を書くこともある
マークダウン記法は他人が文章を見やすくするための表面的なテクニックであり文章を構造化して見やすくするうえで過剰な修飾をおこなっているだけだとか思ってたりしていた
今まで全くマークダウン記法を使ったことがなかったのにそう思っていた
が、1つのツールに縛られず、いろんな記法やUIを使ってみることでそもそも自分でも気づいていなかった制限が外れて思考が豊かになったりするのでいろいろ試してみようということが言いたかった
いろいろとごちゃごちゃと話がそれたが
自分の中で考えていることがまとまっていなくても断片的に考えていることをぽつぽつと書くことができる、書く気分にさせてくれるのがscrapboxの素晴らしいところだなと個人プロジェクトでしかscrapboxを使ったことがないユーザーとして思ったこと
共同編集をするとまた自分が理解していなかった素晴らしい部分を実感するかもしれない
#scrapboxのいいところ
話がそれたが何が言いたいかというと
scrapbox以外のツールで文章を書いてみたり、箇条書きをあえてやめてみたりすると自分にとって文章を書くうえでいい変化が生まれそうだということ
例えば
箇条書きをやめて「見出し+まとまった段落」の塊を1単位とした書き方をするとか
紙とペンで書いてみるとか
小説のように縦書きのツールで書いてみるとか
マークダウンを積極的につかってみるとか
Obsidianを最近使ってみたが使いやすいし、マークダウンで書いてみることで自分の思考が広がった感じがした
音声入力とかも
Pixel7aを最近買って日本語の音声入力の精度の高さに驚き便利さを再認識している
#writing #scrapbox #UI #notation #思考の制限