植物を研究する人のために/牧野富太郎
植物研究の第一歩
植物研究の第一歩は、その名称をしらべることである。それがためにはまず盛に採集するがよい。採集したものはなるべく立派な標品につくる。こうして精細に形態上の観察を行いかつそれを記録するようにするがよい。なお参考書等によって調査をする。この頃は数多くの植物書が出来ているから、熱心に懇切にしらべるならば名称をおぼえる位のことは余り困難ではない。
併しそれでもわからなかったら、大学とか博物館とかを煩わしてしらべるがよい。植物同好会のような実地の研究会にはなるべく数多く出席することを希望する。
形態の観察と用途の調査
こうして名称がわかったら、形態上の観察をなるべく綿密に行い、それからなお進んではその用途につきいろいろの方面にわたってしらべるがよい。かくすることにより、その植物に対する興味は油然として起るものである。殊にまたそれが大学方面に関聯して考察が進められるようになったら、必ずやなお一層趣味が深まって行き、研究が極めて面白くなると思う。
植物研究の真髄
植物の学問は口舌や文字の学問でなく、徹頭徹尾実地の学問である。実地につき、実物について研究する処に植物学研究の真髄が存在する。地理を教える人の中にはロンドンを知らずしてロンドンを授け、鹿児島の地を踏まないで鹿児島の地理を説くものがある。そんなことではどうして生きた地理教授、力のある地理教育が行われるものぞ。
教育は教師の実力が根本であって、教授術の如ごときは末の末である。もし私をして文部大臣たらしむるならば、学校教師、実力の向上を第一に訓令する。知識を豊富にすることが極めて肝要である。徒らに教育法や教授術を説くものは、大砲を造ることに汲々として砲弾の用意を忘れたものに等しい。如何に名砲を備えたといっても砲弾がなくては単なる装飾物に過ぎない。
実力養成の方法
されどそのように実力を養成し、知識を豊富にすることは現在のままでは到底望まれない。時に触れ、折を求めて実地の研究を進めると共に、良書を熟読する必要がある。しかしこの頃のように図書が高価では個人で購読することはなかなか容易でない。学校長は予算を善用して学校へ良書の購入を適当に行うがよく、また父兄からも成るべく図書を学校へ献納して貰うようにするがよい。
〔補〕数年前に書いて公にしたものである。
植物採集は身体の健康を誘致する功能が極めて多い。それはその筈でまず第一運動が足るからである。かつ新鮮な空気を吸い、日光を浴びて緑草緑樹の山野に愉快に行動する。健康ならざらんとするも豈あに得べけんやである。私の健康は全く右に職由して得たものであるといってよい。
植物を採集するは植物に通ずる途の一つである。これを廃すると植物分類の学者はすこぶる迂遠になることを免かれ得ない。
植物採集、標品製作は一の技術である。人により非常に巧拙がある。分類専門の学者でもその標品を作ることが拙劣なものが多く、優秀な標品を製し得る人は割合に寡ない。拙著『趣味の植物採集』(三省堂発行、定価金一円五十銭)は採集の方法を教えた書である。