2019年12月21日(土)〜22日(日)東日本大震災被災地(気仙沼市、南三陸町)におけるグリーンインフラ導入の取組視察
参加者
一ノ瀬友博、井本郁子、木下剛、柴田祐、高橋靖一郎、竹内智子、三輪隆、山田由美
気仙沼市南気仙沼地区
高い防潮堤が続く地区である。南気仙沼のこの地区は、気仙沼漁港に隣接して、水産加工場や倉庫が立ち並ぶ地区である。この海に面した平坦な地区は、明治期には水田であったことが明治期の地図からわかる。終戦後もまだ水田が多くみうけられたが、高度成長期以降に都市化が急速にすすんだ地区でもある。
震災のときには高い波に地区全体が襲われ、多くの建物が流され、命が失われた地区でもある。この地区にあるホテル一景閣のの2階(2m近くのかさ上げにより1Fのように見える)の天井近くの壁に津波到達水位が記されている。
下の写真のホテルの1Fのように見える場所は、かつての2Fであり、1Fのロビーは地下入り口のようになっており、かさ上げの大きさを実感させられる。
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この地区の中心にあり、明治時代には気仙沼湾に浮かぶ小さな島の上に位置していた一景島神社は、地区全体がかさ上げされた結果として、まわりから低く沈み込んだ凹地に立つという、不思議な景観をつくっている。(今昔マップon the web より)
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気仙沼湾に面した造船場、水産加工場立ち並ぶ地区は、かつては海を望む場所であったが、今では高い防潮堤が建設されつつある。その防潮堤には小さな穴があけられ硬質の厚い透明プラスチックがはめ込まれた窓となっており、そこからだけ、海を眺めることができる。まだ工事中の堤防の内外は、乾いた土が散っていた。
あらたな工場や倉庫が建てられて、漁港としての活力が生まれつつあるとはいえ、まだまだ建設途上の印象は強い。防潮堤もこれからさらに伸びていくことであろう。
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(写真・文 井本郁子)
・気仙沼市舞根(もうね)地区
被災地では津波による浸水地の約1/3に対して災害危険区域の指定がされていますが、その指定に何が起こってるのか、人が住まなくなった地がどうなってるのか(自然再生地に使えるのか)、それらのヒントを探りにこの「舞根」の地を訪れました。
ここは高台移転と自然再生事業をいち早く進めた地区です。研究で約100年の土地利用変遷の地図を作っていた経緯から低平地の宅地化や、山地が迫りくる地形などを把握はしていましたが、震災後地域社会にどのような変化があったのかは現地を訪れなければ、やはりわからないものでした。
下の写真は津波が襲ったエリアです。家も流され、農地(写真右手の水田)にも海水が入りました。住民の方々は仮住まいを余儀なくされましたが、特筆すべきは「この地区の方々は震災のあった3月の月末には地区全世帯が合意して高台への移転を決めて」ということです。脆弱な地盤は避けるために山を切り開く形で造成できる土地を探し、候補を特定し、調整を進めていきました。今回の視察ではそのまとめ役の方にお話を伺いました。ご自身も被災された中、大変な作業だったと存じます。
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下の写真は海側から移転地の高台を見上げたところです。家が4軒見えますが、この場所も全世帯が公平に抽選で決めたそうです。「みな高台に移転したので防潮堤は不要。海が見える景観を残し、土地は自然地に再生させる」。住民の方々はその意志を貫くために多大な努力をされてきました。写真手前の湿地は民有地です。湿地として再生させるためは水が供給され続けることが必要ですが河川区域という公用地から、わざと堤防を切って民有地に水を入れるというのは行政的には危険を増大させる行為。これを現行制度の中で進めていくのは、地域の方々、行政の方、専門家などの協力や膨大な調整が必要で、実現するのに8年も掛かったそうです。
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もちろん配慮しているのはこの湿地だけではありません。ここに繋がる川も護岸を多孔質(ポーラス)の法面にすることで、水や空気、微生物を通すことができ、生態系の保全・景観親水性の機能を持たせるという配慮がなされています(上の右側写真)。また、山地側からの地下水が湾内で湧き上がっていることが確認されていることから、湿地と海域を隔てるために地中深くに入れた矢板(土木工事に使う鉄板)は柵状にして水の流れが遮られないように工夫されています。地域全体で自然の動きを妨げない最大限の配慮がされているのです。今もなお、この湿地環境のモニタリングは進められているとのこと(首都大学東京 横山勝英准教授)。この多大なご尽力による挑戦を受け、生き物が呼応して生息してくる姿を見るのが今後も楽しみです。
文責:山田由美
コメント:この湿地は震災直後は大きく地盤が沈下し、海の水が頻繁に浸入する汽水域の湿地として成立していたということでした。しかし、その後、地盤は少しづつ上昇し、海水の入る量が減少するなど、汽水域の湿地にも変化がおきているということです。そのため、川と湿地をつなぐときにも、海の水の侵入を妨げないように、川の中の石積み方向を工夫しているという話でした。動き、変化しつづける大地によって生まれた湿地もまた、変化をしいられているようです。(井本郁子)
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コメント:護岸を切り、河川水・海水を湿地に引き入れることができた決め手は、湿地(民有地)の地権者が隣接する民有地(28区画)の地権者全員の合意を取り付けることができたから。合意の内容は将来、河川水・氾濫水が民有地を棄損することがあっても無条件で受け容れること、でした。この地権者合意は、行政当局が護岸を切るにあたって必須の条件として提示したもの。ちなみに湿地のある土地の地目は雑種地(したがって課税対象)です。今一つの決め手は、東舞根川の護岸改修に際しその干し上げ工事(すなわち復興事業)の一環として位置づけ、施工できたということです。東舞根川の護岸工事のために水流を一時的に干し上げる必要があり、その迂回路の一部として当該の湿地を位置づけることで、西舞根川の護岸を切ることと事業費の問題が同時に解決されました。公有地であっても河川区域あるいは海岸区域でもない限り堤内地にしかも護岸や堤防を壊して水を引き入れるということは、一般論として極めて難しいと思われます。それは人々の生命と財産を棄損する可能性があるからです。そういうことを民有地で実現できたことは、地権者・関係者の熱意と工夫、それに応えた行政当局の制度運用の賜といえます。しかしその大前提として、高台移転(非居住化)と防潮堤の建設取り止めがあったことは重要と思われます。(木下剛)
・南三陸町志津川地区
周辺はまだ防潮堤や嵩上げの工事中です。
この地区も居住地を高台に、商業・加工業などを低地にという土地利用計画となっています。
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令和元年12月17日に一部オープンしたばかりの南三陸町復興祈念公園。ここは高台避難を想定した整備がされています。全体の開園予定は令和2年秋。
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被災した防災庁舎を残しています。
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当初計画では公園は現計画の4倍の24haあったそうです。
ここ志津川地区のまちづくり支援の経緯と、ランドスケープ分野が果たす役割については、事業に関わっていらっしゃる松本悟さん(独立行政法人都市再生機構)が日本造園学会誌「復興のランドスケープ」「南三陸町志津川地区における総合的なまちづくり支援」に書かれています。
視察前の12月16日、研究会メンバーの木下先生と高橋さんが、松本さんにヒアリングをしました。松本さんは、住宅の建て替え、道路の拡幅、広場の設置などまちづくり事業全般に関わってこられました。
①防災事業と関連して公園用地を確保、②都市計画公園に指定できなかったものの今後環境保全型の整備をする地域を確保、③高さ8mにもなる防潮堤が景色を分断せず海が見えるように、造成残土を調整し、陸側のコンクリート法面を見せないよう裏も盛土する方法を実現する、などの成果を出されています。
グリーンインフラを都市づくりにおいて実装していくにあたり、ランドスケープ分野の人材が、計画段階から関わることの重要性を実感しました。
文責:竹内智子
・気仙沼市大谷地区
昔から親しまれてきた大谷海岸の砂浜を、地域で残す提案をし、防潮堤整備、国道の移設などと合わせて実現しつつある事例です。
関連記事です↓
気仙沼市の職員の方が日曜日にご案内くださいました。当初県から提示された砂浜がなくなる案から、地域住民が提案した砂浜を残す案、互いに調整を図りながら、最終的に当初計画よりも防潮堤の位置を陸側に移し、国道を嵩上げして防潮堤と一体化させるという実現案に至るまでのプロセスについて丁寧にご説明下さいました。
砂浜を保全しながら、陸側に国道と一体となった防潮堤を整備中↓
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防潮堤は避難しやすいように階段状にし、砂浜から国道までの間を今後、市民を巻き込んで緑化する予定。後背地が林野庁の土地で林野庁の協力も得られたとのこと。
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震災後に地域住民の方々がまとめたプラン↓ 最終的にまとめられた 大谷海岸地区土地利用構想図(H29.7) ↓
砂浜の保全が一番に示されています。
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地域住民の方々は、どうして早期に計画をまとめることができたのでしょう。気仙沼市が、絵を描くためのコンサルタント委託費用を支出しているそうです。住民案には「各関係者とともに考えていく」「多様な人たちと対話しながら復興まちづくりを進めていく」と書かれています。他にも地域住民、市、県、国交省、林野庁とそれぞれがビジョンを共有し、担当者の方々が支えあい、協力し合っているのが感じられました。
多様な主体がビジョンを共有し、対話と技術力で実現可能な案を調整していく、地域に長く愛されるまちづくりのヒントをたくさんいただきました。
文責:竹内智子
・気仙沼ニッティング
気仙沼ニッティングは、大手コンサルティング会社勤務後ブータンで首相フェローを務めていた御手洗瑞子さんが、2011年8月の任期終了を機に帰国し、復興プロジェクトに参加する中で立ち上げた手編みのニット商品を製造販売するユニークな会社。今回訪問したのは、気仙沼港を見下ろす高台にある同社の販売店である。
一時的な復興需要が去った後も、持続的に地域に収益をもたらす基盤をつくりたい、 「いいもの」をつくりお客さんに喜ばれることで働くひとの「誇り」になる産業をつくりたい、との想いから立ち上げた会社だ。
2012年6月に創業し、 8月に地元で編み手さんを見出すための編み物ワークショップを開催、12月には一着15万円のフルオーダーのファーストモデルMM01の受注を開始し、2013年6月には株式会社化した。初年度から黒字を達成、当初4人の縫い手さんからの出発だったが、今や70人もの縫い手さんが働く立派なビジネスに成長。最高額商品のMM01は手に入れるのに2年以上も待つほどの人気で、編み手さん不足の嬉しい悲鳴が続いている。
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写真左から順に、フルオーダーメイドのカーディガンMM01、編み手さんを紹介するタグ、セミオーダーの5thモデルMeなど
事業成功の要因として、港町である気仙沼では漁網を補修したり漁師のセーターを編むなどの編み物文化があったこと、港町ならではのよそ者に対する寛容さ、緻密な事業計画、糸井重里さんの目利きとアイデアと発信力、編みもの作家の三國万里子さんのデザイン力と指導、働きたくても働けない主婦たちに柔軟な働き方を提供したビジネス上のチャレンジなど枚挙にいとまがないが、それにも増して気仙沼の活性化という社会性のある事業コンセプトがしっかりしていることで、地元の編み手さんが地域と共に成長することを実感でき情熱をもって仕事に取り組めると同時に、消費者にとっても一般的な高額商品とは明確に一線を画した付加価値、すなわち作り手の想いやストーリーが商品に巧みに織り込まれていることが大きいと感じた。
女性活躍や働き方改革を含めた構造改革が進まず課題山積で立ちすくむ現在の日本への処方箋のヒントを地方発で示してくれた同社のクリエイティブで力強い取り組みに心から拍手を送りたい。
文責:三輪隆
・GANBAARE(ガンバーレ)