聖書の中に命令が出てきたら、まず神がその命令を私に対して実践してくださったこと(先行する恵み)に思いを向ける。例えば、マタイ22章34−40節に記されている聖書の中で一番大切な命令について、実践してみよう。
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ
<1>まず神が、心(カルディア・ハート・感情)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、喜ぶあなたとともに喜び、泣くあなたとともに泣いてくださっている。
<2>まず神が、思い(プシュケー・ソウル・魂)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
魂の叫び、心の奥底から、スプランクニゾマイ(内臓がわななく)
<3>まず神が、知力(ディアノイア・マインド・アンダスタンディング・頭・考え、理解)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
知力を尽くして
総合的・統合的・包括的・全人的知識・情報を尽くして
設計、デザイン
人体の不思議、地球、宇宙の不思議
Designed by God in Heaven
あなたの隣人を自分自身のように愛せよ
まず神が、私の良き隣人となって寄り添い、私をご自身のように愛してくださったことに思いを向ける。(ルカ福音書10:30−37 良きサマリヤ人のように、反対側を見て見ぬふりをして通り過ぎずに)
このようにまず私を愛してくださった神に思いを向けるなら、神を喜び、神に感謝し、神を愛することはそんなに難しいことではなくなる。これが福音的な聖書の読み方のコツ。先行する恵みにいつも思いを向けること。
一番大切な十戒の前文=まず語られている先行する恵み(救い、愛、赦し)
出エジプト20章、申命記5章
わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した(自由へと解放した)、あなたの神、主である(救い主・キリストである)。(だから)
そして先行する恵みの後に続く十戒
前半:たいせつな第一の戒め=十戒の前半=対神関係=十字架の縦棒 「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
1、ほかの神々をもたない
2、自分のために偶像を造らない
3、主の御名をみだりに唱えない
4、安息日を覚えて聖なる日とする
後半:同じようにたいせつな第二の戒め=十戒の後半=対人関係=十字架の横棒 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
5、生まれてきた時に最初の隣人となってくれた父と母を敬う
6、隣人を殺さない
7、隣人と姦淫しない
8、隣人のものを盗まない
9、隣人に対して偽りの証言をしない
10、隣人の家・妻を欲しがらない=むさぼり
マタイ6章7−8節に、「先行する恵み」が明記されています。驚くべきことに、私たちが願う前に、父なる神は、私たちに必要なものを知ってくださっています!
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです
だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
⭐️先行する恵みをいつも覚えることができるように
私たちは愛しています。**(なぜなら)神がまず私たちを愛してくださったから**です。
1ヨハネの手紙4章19節
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。**わたしがあなたがたを愛したように**、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。ヨハネ福音書13章34−35節
互いに愛し合いなさい。なぜなら、主がまず私たちを本気で愛してくださったから。
互いに仕え合いなさい。なぜなら、主がまず私たちに仕え、汚れた足を洗ってくださったから。
互いに赦し合いなさい。なぜなら、主がまず私たちを赦してくださったから。
実は主の愛と赦しは、実は私たちの悔い改めにも先行します。 あらゆるものに先行する恵み。それを知った時初めて、私たちは真に悔い改めることができるのです。
ルカ福音書23章34節には、私たちの悔い改めに先立つ神の赦しが、十字架の主イエスによって明確に啓示されています。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」
私たちがまだ神の敵であった時。